前田恵理子: 第一線の放射線科医で患者である私の当事者研究

東大病院の放射線科医として循環器画像診断や医療被ばくを専門としています。患者と中高時代以来の超重症喘息と闘いながら受験やキャリア形成、結婚・妊娠・出産を乗り越えてきました。2015年以降肺癌(腺癌→小細胞癌への形質転換)を6回の再発、4回の手術(胸腔鏡3回、開頭1回)、3回の化学療法、2回の放射線治療、肺のラジオ波焼灼、分子標的薬治療により克服しました。脳転移と放射線壊死による半盲、失読、失語も日々の工夫で乗り越えています。医師・当事者としての正確な発信が医学の進歩に帰することを願っています。

産経新聞に掲載されました

産経新聞社に私の波乱万丈な人生が掲載されました。


2019年10月26日夜にWeb版が公開され、
https://www.sankei.com/life/news/191026/lif1910260026-n1.html
2019年10月27日朝刊社会面に記事が掲載されました。

多岐にわたる内容を、文章にまとめてくださった記者の方、本当にさすがです。また、
「あきらめない姿示す それが私の医療」
私が話したことではありますが、そのまま使って記事を書いてくださったことに感謝しています。

人は、見たことがないものに対して想像力を働かせるのは難しいものです。重い病気を抱えた患者さん自身、病気だから〇〇できないし・・・と、本当はやりたいと思っていることをあきらめてしまっていることはよくあります。一方周りも、やはり重い病気や障害を抱えた方が働こうとか、趣味の世界で活躍しようとか思った時に、「無理なんじゃない?」と、本人にその気があってもストップをかけたりしがちなんですよね。

ヴァイオリンの世界にはイザークパールマンという先達がいて、彼は世界的なヴァイオリニストで、素晴らしい技術、音楽、人間性を兼ね備えた、私が大好きな音楽家の一人ですが、4歳の時に罹患したポリオで足が不自由なんです。ヴァイオリンが好きな人は、パールマンのことを知っているので、私がHOTや車椅子でオーケストラに参加した時も、パールウーマンなどと茶化して受け入れてくれました。
ピアノの世界では、同じように全盲のピアニスト、辻井伸行さんや、脳出血をきっかけに左手専門のピアニストとして精力的に活動された、舘野泉さんの存在が大きいと思います。


同じことだと思います。レベルは全然違いますが、私が「HOTで医者やってる」「IV期肺癌でも仕事も家庭もヴァイオリンも大好き」「この期に及んで気象の勉強までしているらしい(もともと好きな分野ですが本当です)」なんて姿を見せることで、患者さんにも、周りの人にも、病気があってもなんでもできるという概念が生まれます。ハンデがあっても、そのハンデを乗り越えて活躍する人がいることで、社会の目をちょっと変えることができるんです。
「無理無理、やめときな」
から
「それもアリだよね」

に。
そうして、いろいろな人がちょっと生きやすい世の中が生まれる。


放射線科診断医というのは、基本B to B(医者 to 医者)の仕事なので、患者さんに直接接する機会はあまりありません。だから、患者さんの前にあきらめない姿を示すことすら難しいのですが、記事が出たことで、多くの人に私のことを知っていただくことができて嬉しいです。
記事をきっかけに、社会通念の中にちょっとでも「アリだよね」が増えることを願っています。