前田恵理子: 第一線の放射線科医で患者である私の当事者研究

東大病院の放射線科医として循環器画像診断や医療被ばくを専門としています。患者と中高時代以来の超重症喘息と闘いながら受験やキャリア形成、結婚・妊娠・出産を乗り越えてきました。2015年以降肺癌(腺癌→小細胞癌への形質転換)を6回の再発、4回の手術(胸腔鏡3回、開頭1回)、3回の化学療法、2回の放射線治療、肺のラジオ波焼灼、分子標的薬治療により克服しました。脳転移と放射線壊死による半盲、失読、失語も日々の工夫で乗り越えています。医師・当事者としての正確な発信が医学の進歩に帰することを願っています。

第11章 ③ 気象予報士試験

 「資格勉強をしてみよう」

 気象庁等が発表した情報をSNSで伝えるだけなら、気象予報士の資格はいらない。気象予報士の話題になると大抵、二言目には「テレビのお天気おねえさんのことでしょ?」と言われるのだが、テレビの天気予報も、気象庁や気象会社発表した情報を解説しているだけなので、本来は気象予報士である必要はないのである。では、何をするために必要な資格なのかといえば、天気や降水量や気温などの気象現象を、科学的な手法を用いて継続的に予測する業務(通常は高度なコンピュータ技術が必要である)を行うために必要な資格なのである。そういう意味では、私は独自の天気予報を発表したいわけではないから、資格を取る必要性はない。

 でも、あらゆる受験勉強に共通することとして、合格を目指すことで気象業界の方が当然持っている基礎知識をパッケージとして習得できることが、何よりの魅力に感じた。試験を受けなくても勉強はできるが、範囲の広い学問を効率的に網羅するには、やはり試験があったほうがよい。

 昔から気象は好きだった。天文にはまった小学生の頃に、天体観測ができるかどうか予測するために地上天気図の読み方を覚えたのがきっかけだった。その後、喘息とうまく付き合うために日々、気象庁のサイトを確認する癖がついた。様々な天気図に遭遇するうちにもっと知識を得たくなり、一般書やインターネットで断片的な勉強を繰り返すうちに、多彩な衛星写真や専門天気図が読めるようになったのが今の状態だった。しかし、医学の勉強にも基礎医学の積み上げが必要なように、気象の勉強には気象の勉強の体系があるはずだ。一度その体系に乗って勉強してみたいという気持ちは、長らく持っていたのだ。

 問題は時間とエネルギーだけだ。試験範囲が膨大で、合格率が4%しかない試験に合格できるような勉強が、忙しい日常業務と家庭を回しながらできるだろうか。台風19号の後気になりだしてから、1か月も受験を悩んでしまったのはそのためだ。でも、やってみないとどれくらい大変かわからないじゃないかと、結局受験することにした。

 気象予報士試験は、一般知識、専門知識、実技試験1、実技試験2の4つの試験からなる。一般と専門は15問ずつのマルティプルチョイスで、両方に合格しないと足切りとなり、実技は採点してもらえない。一般と専門は合格後1年間有効なので、まずこれらの学科試験に合格し、のちに実技の合格を目指すのが王道とされている。実技試験は、大量の天気図など気象データを読みながら、記述や作図ばかりの大量の問題に解答しなくてはいけない、厳しい試験である。今回は受験を決めてから試験まで2か月しかないので、まずは学科に専念することにした。

 勉強を始めてみると、一般知識は気体の状態方程式や熱力学法則など、大学受験の化学で嫌というほど解いたような問題がかなり含まれることが分かった。また、独学中にいくつかの概念を苦労して理解しておいたことも、勉強の時短につながった。例えばエマグラムという、対流圏の大気や水蒸気の状態を二次元で表したグラフの読み方など、一度も勉強したことがなかったら到底時間が足りなかったと思われる。もちろん初めて知る知識もかなりあったが、説明を読んでも理解できないことは少なかった。
 1か月ほど勉強をすると、一般知識の教科書を一通り終わらせることができた。すると、専門知識の教科書に手を伸ばしたくなってきた。今回の目標は一般知識の合格だが、雰囲気を知るために実技も含めて全科目受験してみるつもりでいた。どうせ受けるなら、一通り専門の教科書くらい読んでおこう。そんな感じだったが、実際のところはもっと気象らしい勉強もしてみたくなったのだ。基礎医学を勉強している医学部3年生のころに、早く臨床医学に触れたくなるのと同じである。試験だけを考えると余計な寄り道だったかもしれないが、これまで抱えてきた多くの疑問を解決することができた点で、収穫は大きかった。最後の2週間は、一般を一通り復習しながら過去5年分の過去問で傾向をつかむことにした。

 試験の前の週末、講演で訪れた札幌で、とっておきの出来事があった。氷点下10度の刺すような空気、積み上げられている大量の雪、木の上から星屑のように降り注ぐ粉雪!同伴した息子は、靴下が濡れるのもお構いなしに、雪山の中に飛び込んで遊びたがる。まさに異世界に胸が高鳴る。そんな札幌で、早朝からダンディーな帽子姿でホテルに迎えに来て下ったのは、衆議院議員荒井聡先生であった。SNSを通じて懇意にさせていただいている荒井先生は、気象庁関連のお仕事に情熱を傾けておられ、気象好きの私のために札幌管区気象台を見学させてくださるという。

 見学のメインは、朝9時のラジオゾンデの打ち上げだ。ラジオゾンデは、巨大なゴム風船に高層観測用の小さな機械がくくりつけた観測機である。世界中に観測網を敷くため、一日2回、世界中で同じ時刻に打ち上げられている。倉庫から運ばれてきた風船は息子の背丈ほどの直径で、思わず歓声を上げてしまうくらい迫力満点である。紐が延ばされ、アドバルーンよろしく空高く泳ぎだすと、カウントダウンが始まり、風船はリリースされた。上昇速度は思いのほか速い。5分ほどして肉眼では見えなくなったが、その頃には2000mをはるかに超える高さに達しているそうだ。打ち上げが終わると、実際の天気予報を担う現業室や、地震火山観測室を見学させていただき、夢のような時間を過ごした。

 そんな思い出を胸に、翌週私は試験会場の早稲田大学にいた。一般は思いのほか難しく、専門は一般よりむしろ簡単に思えたが、帰宅して速報を見ながら採点してみると、実際の出来は逆。一般は法律の問題を2問落とした以外はすべて正解で合格、専門は1問及ばずであった。今回はもともと一般が取れれば御の字だったので、悔いはない。

 早速、次の8月の試験のために勉強を再開したかったが、本業で大きな動きがあったため、数か月間は気象の勉強は忘れて医学に専念することにした。