前田恵理子: 第一線の放射線科医で患者である私の当事者研究

東大病院の放射線科医として循環器画像診断や医療被ばくを専門としています。患者と中高時代以来の超重症喘息と闘いながら受験やキャリア形成、結婚・妊娠・出産を乗り越えてきました。2015年以降肺癌(腺癌→小細胞癌への形質転換)を6回の再発、4回の手術(胸腔鏡3回、開頭1回)、3回の化学療法、2回の放射線治療、肺のラジオ波焼灼、分子標的薬治療により克服しました。脳転移と放射線壊死による半盲、失読、失語も日々の工夫で乗り越えています。医師・当事者としての正確な発信が医学の進歩に帰することを願っています。

プロフィール

 

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※これまでの論文、講演やメディア掲載情報は下記にまとめてあります。
   業績まとめ  https://researchmap.jp/erikospassion 
   執筆論文紹介 https://erikospassion.hatenablog.com/entry/2019/09/30/002955
   講演紹介   https://erikospassion.hatenablog.com/entry/2019/10/01/101905
   メディア掲載 https://erikospassion.hatenablog.com/entry/2020/05/10/100245

※ブログのトップに本ページが表示される設定になっています。記事は右の一覧から検索頂ければ幸いです。
 

 はじめまして、前田恵理子です。

 私は画像診断を生業とする放射線科の医師です。現在、東京大学医学部附属病院の特任助教として臨床、研究、教育に携わっています。循環器、小児、大腸、嚥下といった特殊CT、なかでも小児心臓CTと、医療被曝を専門にしています。

 一方、再発を繰り返す肺がん患者でもあり、5度の手術(胸部4回、開頭1回)、3回の化学療法、2回の放射線治療を経験し、分子標的薬を飲み続けています。再発のたびに、手術や放射線治療を受けて局所コントロールを得て、2020年2月には節目となる5年生存を達成しました。

 また、中高時代から重症喘息に苦しみ、20回以上喘息で入院しながら東大入試、国家試験、専門医試験を乗り越えてきました。死線を彷徨うような重篤な喘息発作も何度も体験し、医学部5年生の時には24時間酸素吸入が手放せない状況になり、8年間に渡って酸素を引っ張って医学生、医者をやっていたこともあります。酸素を連れて、海外出張にも何度も行きました。

 喘息治療で大量に使い続けてきたステロイドの副作用による、緑内障大腿骨頭壊死も経験しています。

 そんな数多の試練を知恵と、勇気と、情熱の力で乗り越えながら、様々なことを達成してきました。趣味のヴァイオリンと、音楽を通じて出会えた仲間たちも、大きな力になってくれました。

 その過程は、半生記 「Passion 受難を情熱に変えて」(医学と看護社)に詳述されています。Passionという言葉には、よく知られた情熱という意味だけでなく、受難という意味があります。私の生き方を象徴する言葉として、使っています。よろしければお手にとってみてください。

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 がん治療については、経過と画像をまとめた「オリゴメタの治療戦略」も併せてご覧ください。

erikospassion.hatenablog.com

 医療相談は受けませんが、在宅酸素で海外旅行や出張に行きたい方の相談だけは、国内に情報があまりに公開されていないため、お役に立ちたいと思います。

 どうぞよろしくお願いいたします。

 

経歴(赤字は病歴)

1977年 神奈川県秦野市に生まれる。外遊びといたずらの幼少期を送る。

1984年 秦野市立渋沢小学校入学。サイエンスに興味を持ち始める。

1988年 父の都合でオランダに渡る。医学を志す。現地で喘息発症。

    その後3年半にわたり、インターでエッセイ、討論、実験漬けの生活を送る

1991年 中2で帰国、桐蔭学園中学校女子部編入

    オランダと180度異なる日本式の勉強について行けず、数学が落ちこぼれる。

1992年 喘息重症化、アスピリン喘息発症。中3で8回、通算4ヶ月半の入院をする。

1993年 高校の内部進学に失敗。火がついたように数学の勉強を始める。

    小5の四則演算からやり直し、1年間で数学の偏差値を40上げて学年トップに。

1995年 無理をしすぎて高3の11月に肺性心(心不全)で1ヶ月入院。

    それまでにも高校で7回(桐蔭学園時代だけで16回)入院した。

1996年 東京大学理科III類(医学部)、慶応大学医学部現役合格。東大に進学。

1998年 東京大学医学部医学科進学。

2001年 実習の無理がたたって喘息が慢性化し、在宅酸素療法導入に。

2003年 東京大学医学部医学科卒業、同附属病院研修医に。

    ステロイドの副作用による右大腿骨頭壊死発症。

2004年 ステロイド緑内障に対して両眼繊維柱切開術を受ける。

    学生時代の解剖の教科書執筆と学業に対し、東京大学総長賞受賞。

    「解剖実習室へようこそ」(医学書院)出版。

2005年 東大病院22世紀医療センター 特任助教就任。

    所属はコンピュータ画像診断学予防医学寄付講座(放射線科を親講座とする検診とAI関連の寄付講座)。

2006年 北米放射線学会(RSNA) 教育展示最高賞(Magna Cum Laude)受賞。

    初めて24時間在宅酸素で海外出張を行う。

2008年 北米放射線学会(RSNA) 教育展示最高賞(Magna Cum Laude)受賞。

    放射線診断専門医資格取得。24時間在宅酸素から離脱。

2009年 結婚。

2011年 長男を出産。出産後喘息が軽快する。

    東京大学医学部附属病院 バスキュラーボード委員

2012年 東京大学大学院医学系研究科にて学位(医学博士)取得。

    学位のテーマは、見落としと読影疲労の研究。

2014年 日本医学放射線学会 Most cited paper award受賞。

    北米放射線学会(RSNA) 教育展示 Cum Laude受賞。

2015年 検診の胸部単純写真にて自分で肺癌を発見。

    左肺上葉切除の後、シスプラチンとナベルミンの化学療法を4サイクル受ける。

    日本消化器癌検診学会 大腸CT検査読影認定医・読影支援技師認定制度WG委員

    日本医学放射線学会 画像適正利用委員会委員。

2016年 日本医学放射線学会 Most cited paper award受賞。

    アジア心臓血管放射線学会 先天性心疾患委員会委員。

2017年 長男小学校入学。

    肺癌の胸膜播種再発が発覚、分子標的薬(ジオトリフ)服用開始。

    日本循環器学会 先天性心疾患ガイドライン協力員

2019年 2度目の再発(胸膜播種と肺靭帯リンパ節腫大)に対してサルベージ手術。腺癌の小細胞癌転化が発覚。

    術後補助化学療法としてカルボプラチンとエトポシドの化学療法を4サイクル受ける。

    アジア心臓血管放射線学会 小児心臓CT撮影ガイドライン出版。

    3度目の再発(残っていた胸膜播種)に対して再サルベージ手術。東大オンコパネル検査を受ける。

    日本循環器学会 先天性心疾患並びに小児期心疾患の診断検査と薬物療法ガイドライン出版。

    日本小児心臓CTアライアンス設立、代表に就任。

    4度目の再発(縦隔リンパ節転移)に対して定位放射線治療(5Gyx10回)を受ける。

2020年 2月に5年生存を達成

    日本小児心臓CTアライアンスとしてJ-RIME(医療被曝研究情報ネットワーク)に加盟

    5回目の再発(左後頭葉脳転移)に対して開頭手術、定位放射線治療(6Gy×5回)を受ける。脳転移と手術に伴い右半盲・失読になる。

    術後補助化学療法としてカルボプラチンとエトポシドの化学療法を4サイクル受ける。

2020年 12月 放射線照射の後遺症として脳の一部(左側頭葉)が壊死を起こし、高度な脳浮腫でICU入院する。脳浮腫コントロールのためステロイド+イソバイド治療を始める。

2021年 1月 12月の入院時に見つかった肺内転移(術後再発)3か所に対して、大阪の都島放射線科クリニックで肺ラジオ波焼灼を受け、完治する。

2021年 1月 都島放射線科クリニックにて非常勤研究生になり研究を開始する。

 

6回の再発を繰り返している割には、いずれも手術、放射線治療やラジオ波焼灼といった局所治療でつぶすことができており、派手な病歴のわりに、治療のたびに病変ゼロに持ち込めています。少数転移(オリゴメタ)に対する局所治療の重要性を物語る一症例として参考にして頂ければ幸いです。