前田恵理子: 第一線の放射線科医で患者である私の当事者研究

東大病院の放射線科医として循環器画像診断や医療被ばくを専門としています。患者と中高時代以来の超重症喘息と闘いながら受験やキャリア形成、結婚・妊娠・出産を乗り越えてきました。2015年以降肺癌(腺癌→小細胞癌への形質転換)を6回の再発、4回の手術(胸腔鏡3回、開頭1回)、3回の化学療法、2回の放射線治療、肺のラジオ波焼灼、分子標的薬治療により克服しました。脳転移と放射線壊死による半盲、失読、失語も日々の工夫で乗り越えています。医師・当事者としての正確な発信が医学の進歩に帰することを願っています。

プロフィール

 

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※これまでの論文、講演やメディア掲載情報は下記にまとめてあります。
   業績まとめ  https://researchmap.jp/erikospassion 
   執筆論文紹介 https://erikospassion.hatenablog.com/entry/2019/09/30/002955
   講演紹介   https://erikospassion.hatenablog.com/entry/2019/10/01/101905
   メディア掲載 https://erikospassion.hatenablog.com/entry/2020/05/10/100245

※ブログのトップに本ページが表示される設定になっています。記事は右の一覧から検索頂ければ幸いです。
 

 はじめまして、前田恵理子です。

 私は画像診断を生業とする放射線科の医師です。現在、東京大学医学部附属病院の特任助教として臨床、研究、教育に携わっています。循環器、小児、大腸、嚥下といった特殊CT、なかでも小児心臓CTと、医療被曝を専門にしています。

 一方、再発を繰り返す肺がん患者でもあり、5度の手術(胸部4回、開頭1回)、3回の化学療法、2回の放射線治療を経験し、分子標的薬を飲み続けています。再発のたびに、手術や放射線治療を受けて局所コントロールを得て、2020年2月には節目となる5年生存を達成しました。

 また、中高時代から重症喘息に苦しみ、20回以上喘息で入院しながら東大入試、国家試験、専門医試験を乗り越えてきました。死線を彷徨うような重篤な喘息発作も何度も体験し、医学部5年生の時には24時間酸素吸入が手放せない状況になり、8年間に渡って酸素を引っ張って医学生、医者をやっていたこともあります。酸素を連れて、海外出張にも何度も行きました。

 喘息治療で大量に使い続けてきたステロイドの副作用による、緑内障大腿骨頭壊死も経験しています。

 そんな数多の試練を知恵と、勇気と、情熱の力で乗り越えながら、様々なことを達成してきました。趣味のヴァイオリンと、音楽を通じて出会えた仲間たちも、大きな力になってくれました。

 その過程は、半生記 「Passion 受難を情熱に変えて」(医学と看護社)に詳述されています。Passionという言葉には、よく知られた情熱という意味だけでなく、受難という意味があります。私の生き方を象徴する言葉として、使っています。よろしければお手にとってみてください。

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 がん治療については、経過と画像をまとめた「オリゴメタの治療戦略」も併せてご覧ください。

erikospassion.hatenablog.com

 医療相談は受けませんが、在宅酸素で海外旅行や出張に行きたい方の相談だけは、国内に情報があまりに公開されていないため、お役に立ちたいと思います。

 どうぞよろしくお願いいたします。

 

経歴(赤字は病歴)

1977年 神奈川県秦野市に生まれる。外遊びといたずらの幼少期を送る。

1984年 秦野市立渋沢小学校入学。サイエンスに興味を持ち始める。

1988年 父の都合でオランダに渡る。医学を志す。現地で喘息発症。

    その後3年半にわたり、インターでエッセイ、討論、実験漬けの生活を送る

1991年 中2で帰国、桐蔭学園中学校女子部編入

    オランダと180度異なる日本式の勉強について行けず、数学が落ちこぼれる。

1992年 喘息重症化、アスピリン喘息発症。中3で8回、通算4ヶ月半の入院をする。

1993年 高校の内部進学に失敗。火がついたように数学の勉強を始める。

    小5の四則演算からやり直し、1年間で数学の偏差値を40上げて学年トップに。

1995年 無理をしすぎて高3の11月に肺性心(心不全)で1ヶ月入院。

    それまでにも高校で7回(桐蔭学園時代だけで16回)入院した。

1996年 東京大学理科III類(医学部)、慶応大学医学部現役合格。東大に進学。

1998年 東京大学医学部医学科進学。

2001年 実習の無理がたたって喘息が慢性化し、在宅酸素療法導入に。

2003年 東京大学医学部医学科卒業、同附属病院研修医に。

    ステロイドの副作用による右大腿骨頭壊死発症。

2004年 ステロイド緑内障に対して両眼繊維柱切開術を受ける。

    学生時代の解剖の教科書執筆と学業に対し、東京大学総長賞受賞。

    「解剖実習室へようこそ」(医学書院)出版。

2005年 東大病院22世紀医療センター 特任助教就任。

    所属はコンピュータ画像診断学予防医学寄付講座(放射線科を親講座とする検診とAI関連の寄付講座)。

2006年 北米放射線学会(RSNA) 教育展示最高賞(Magna Cum Laude)受賞。

    初めて24時間在宅酸素で海外出張を行う。

2008年 北米放射線学会(RSNA) 教育展示最高賞(Magna Cum Laude)受賞。

    放射線診断専門医資格取得。24時間在宅酸素から離脱。

2009年 結婚。

2011年 長男を出産。出産後喘息が軽快する。

    東京大学医学部附属病院 バスキュラーボード委員

2012年 東京大学大学院医学系研究科にて学位(医学博士)取得。

    学位のテーマは、見落としと読影疲労の研究。

2014年 日本医学放射線学会 Most cited paper award受賞。

    北米放射線学会(RSNA) 教育展示 Cum Laude受賞。

2015年 検診の胸部単純写真にて自分で肺癌を発見。

    左肺上葉切除の後、シスプラチンとナベルミンの化学療法を4サイクル受ける。

    日本消化器癌検診学会 大腸CT検査読影認定医・読影支援技師認定制度WG委員

    日本医学放射線学会 画像適正利用委員会委員。

2016年 日本医学放射線学会 Most cited paper award受賞。

    アジア心臓血管放射線学会 先天性心疾患委員会委員。

2017年 長男小学校入学。

    肺癌の胸膜播種再発が発覚、分子標的薬(ジオトリフ)服用開始。

    日本循環器学会 先天性心疾患ガイドライン協力員

2019年 2度目の再発(胸膜播種と肺靭帯リンパ節腫大)に対してサルベージ手術。腺癌の小細胞癌転化が発覚。

    術後補助化学療法としてカルボプラチンとエトポシドの化学療法を4サイクル受ける。

    アジア心臓血管放射線学会 小児心臓CT撮影ガイドライン出版。

    3度目の再発(残っていた胸膜播種)に対して再サルベージ手術。東大オンコパネル検査を受ける。

    日本循環器学会 先天性心疾患並びに小児期心疾患の診断検査と薬物療法ガイドライン出版。

    日本小児心臓CTアライアンス設立、代表に就任。

    4度目の再発(縦隔リンパ節転移)に対して定位放射線治療(5Gyx10回)を受ける。

2020年 2月に5年生存を達成

    日本小児心臓CTアライアンスとしてJ-RIME(医療被曝研究情報ネットワーク)に加盟

    5回目の再発(左後頭葉脳転移)に対して開頭手術、定位放射線治療(6Gy×5回)を受ける。脳転移と手術に伴い右半盲・失読になる。

    術後補助化学療法としてカルボプラチンとエトポシドの化学療法を4サイクル受ける。

2020年 12月 放射線照射の後遺症として脳の一部(左側頭葉)が壊死を起こし、高度な脳浮腫でICU入院する。脳浮腫コントロールのためステロイド+イソバイド治療を始める。

2021年 1月 12月の入院時に見つかった肺内転移(術後再発)3か所に対して、大阪の都島放射線科クリニックで肺ラジオ波焼灼を受け、完治する。

2021年 1月 都島放射線科クリニックにて非常勤研究生になり研究を開始する。

 

6回の再発を繰り返している割には、いずれも手術、放射線治療やラジオ波焼灼といった局所治療でつぶすことができており、派手な病歴のわりに、治療のたびに病変ゼロに持ち込めています。少数転移(オリゴメタ)に対する局所治療の重要性を物語る一症例として参考にして頂ければ幸いです。

肺RFA体験記 part4:術後経過と画像所見

2021年1月4日に、大阪の都島放射線科クリニックにて、肺内再発3か所に対してCTガイド下経皮的ラジオ波焼灼術(Radiofrequency Ablation;RFA)による治療を受けてきました。part 1では、自由診療である肺RFAを選択した背景について、

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Part 2は、治療を行っていただいた大阪の都島放射線科クリニックのアクセスと、検査前に撮像したCTの画像診断について、

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Part 3は、実際のRFA手技について、それぞれ詳述しました。

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Part 4の今回は、RFAを受けた後の自覚症状や画像所見の変化について解説します。

 

1、術後の自覚症状

 RFA中に用いた鎮静剤の作用で気持ち悪くなる可能性があると言われていましたが、そんなことはありませんでした(個人差があると思います)。夕食はデニーズのデリバリーを頼んで普通に食べることができました。ただ、眠くて仕方がなかったので、半分寝ながら食事をした感じで、どうやって身支度して寝たのかよく覚えていません(笑)。朝はスッキリ起きました。

 起きると左胸にボコボコという異音があり、軽い息切れもあり、多少の気胸があるのだろうなと思いました。気胸については、part 5に詳しく書きます。

 痛みについては、多くの患者さんは1-2週間ロキソニンを飲めば、ほとんど気にならない程度で済むそうです。私はアスピリン喘息があり、ロキソニンバファリンなどの非ステロイド性消炎鎮痛剤(NSAIDs)が使えないため、トラマールという非麻薬系オピオイド鎮痛剤を東京から準備していきました。この薬は、1日最大8錠飲むことができますが、東京に帰るまでの3日間については、1日4-5錠飲めばデスクワークをして過ごすことが出来る程度の痛みで治まっていました。

 むしろ、東京に帰ってから約1か月間のほうが、想像していたより痛みと違和感がしつこく残ったことを覚えています。2週間もたてば必要なくなるかなと思っていたトラマールですが、1か月間ほどはなかなか量が減りませんでした。これは、焼灼したことによる炎症というより、今回焼いた3か所の病変がそれぞれ胸膜・横隔膜・心膜に接していたため、術後に病変が収縮する過程で肺底部に向かってひきつれるように持ち上がることが原因の、二次的な痛みと思われました。そう解釈したのは、深呼吸をすると胸壁が攣るような痛み、あるいは筋肉痛が出たからです。

 でも、術後1か月が過ぎるころから痛みもなくなり、2月5日を最後にトラマールを飲むこともなくなりました。この原稿を書いている今(3月21日)は2か月半経ったところですが、何の自覚症状もありません。

 

2、RFA完全焼灼後の正常な画像所見

 RFA焼灼後の画像所見の推移を見ていきます。

 RFA当日は、焼灼による熱が入った領域にすりガラス状濃度上昇が認められましたが(左図)、翌日には、すりガラスが見られた領域が収縮し、濃度が高くなりました(中図)。造影後の増強効果が目立つ領域は認めません(右図)。

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 RFAから2週間後の、左肺S9病変(病変①と②)のPET-CTです。左上図は、1月5日の再掲ですが、これと比較すると、さらに肺病変の収縮が進んでいます(左下図)。FDG-PETでは、癌の残存や再発を疑うような集積増加域は認められませんでした(右の2枚)

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 心臓に接した、左肺S8病変(病変③)の画像所見の推移です。左側の2枚が、RFAから3日の1月7日のCT、右側の2枚が2週間後の1月18日のCTです。10日あまりの間に、病変が縮小して小さくなっています。癌の再発や残存を疑うような、増強効果が多喜領域はなく(左下:造影CT)、FDG-PETでのFDGの取り込みもありません(右下)。

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 このように、焼灼直後は熱を加えられた領域に同心円状のすりガラス状濃度上昇が出て、その後そのすりガラスの濃度が高くなりながら収縮して結節状に小さくなるのは、RFAが成功した後の典型的な画像所見です。病変の一部が増大したり、造影後の早期増強効果が見られたり、増強効果が目立って来たり、高いFDG集積が出てきたりすると、それは残存や再発を示唆する所見になります。

 

3、治療から2か月経って

 3月18日に、術後2か月の造影CTが行われました。焼灼した病変は小さく収縮したままでした。再発を疑うような、増大した箇所、早期濃染や、増強効果が再びでてきた場所もありませんでした。もちろん、新たな転移もありません。今回のRFAについては、完全焼灼を得て完治したことになります。

 初めて肺癌になってから6年が経過しましたが、画像で見えるようなサイズの病変はどこにありません。

肺RFA体験記 part5:気胸の合併症とソラシックベンド体験記

2021年1月4日に、大阪の都島放射線科クリニックにて、肺内再発3か所に対してCTガイド下経皮的ラジオ波焼灼術(Radiofrequency Ablation;RFA)による治療を受けてきました。part 1では、自由診療である肺RFAを選択した背景について、

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Part 2は、治療を行っていただいた大阪の都島放射線科クリニックのアクセスと、検査前に撮像したCTの画像診断について、

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Part 3は、実際のRFA手技について、

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Part はRFAを受けた後の自覚症状や画像所見の変化について、それぞれ詳述しました。

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 Part 5となる今回は、合併症のお話です。

 左肺S8の心臓に沿った細長い病変(病変3)は、2019年の手術で肺切除の際にクリップをかけた場所でした。クリップは心膜と癒着しており、この病変をクリップごと焼こうとすると、癒着していた肺に「穴」ができます。やむを得ないことですが、この穴から胸の中に大量の空気が漏れて、派手な気胸になりました。その気胸も、「ソラシックベント」という小さな器具を使って、らくちん、簡単に直すことが出来ましたので、ご紹介します。

 

1、気胸の自覚症状と画像所見 

 RFAの翌朝、起きると左胸の中にボコボコという音がしました。また、軽い息切れや胸の痛みもあるような気がしました。でも、過去に肺の手術を4回受けており、胸膜炎や自然気胸の経験もあり、その時に比べて大した症状でもなかったので、まさかこんな高度な気胸になっているとは思いもよらなかったのです。ホテルからクリニックまでも、さほど苦しく感じることもなく、一人で歩いて行きました。

 CTを撮ってびっくり。左肺の体積は1/3ほどになるほどペシャンコで、左胸腔内に大量の空気が漏れていました。

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 こんな高度な気胸になっているとは夢にも思っていなかったのですが、思い返せばこうなるのは、ある意味当たり前でした。3か所RFAしたうちの3つ目の病変(左肺S8の病変③)は、2019年1月に左肺底部に並んだ5つの結節をホチキスで切除した場所。肺はホチキスによって止まっているので、RFAの際にホチキスに沿って焼いたら当然、肺に穴があくのです。その穴から肺の中の空気が漏れて、大量の気胸になったのでした。

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2、気胸の治療方法

 気胸治療にはいくつかの方法があります。少量であれば自覚症状はないか、あってもごく軽度で、経過観察することが一般的です。肺RFAは肺を焼いて穴をあけるので、2-3割の方に軽度の気胸が起こりますが、多くの方は経過観察で問題なく完治します。

 高度な気胸では、胸腔内(肺と胸壁の間のスペース)にチューブを刺し、吸引して肺を膨らませる治療をします。1回膨らませただけでは、気胸の原因となった肺の穴から空気漏れが継続して、気胸が治らないことが多いので、胸腔内の空気を抜いた後に何らかの治療を追加します。

 多いのが胸腔ドレーンを入れる方法です。太さ1cmほどの管を胸腔内に挿入し、水圧を利用した電動ポンプで持続的に吸引します。よく、胸部の術後に行われる方法で、治療には入院が必要です。

 日本でも一部の施設(特に関西系)で、好んで用いられるのがソラシックベントです。気胸の原因がシンプルで、治りやすそうなものに対して使われます。次項で解説します。

 最後の方法が、胸膜癒着です。胸腔内の空気を抜いた後、胸腔内にタルクを蒔いて炎症を起こし、胸壁と肺の胸膜を癒着させ、胸腔内に物理的に空気が溜まらないようにする方法です。気胸の原因が複雑で、再発を繰り返すことが予想される場合に用いられます。この方法の弱点は、タルクという濃度の高い物質を使うために、CTで胸膜の周囲がよく見えなくなってしまうことです。すると、再発にいち早く気が付くことが出来なくなってしまうので、やむを得ない時にのみ行います。

 

3、ソラシックベント(Thoracic vent)体験記

 今回気胸治療に選んだのは、ソラシックベントというデバイスでした。

 ソラシックベントは、9cm×2cmほどの小さな箱のついた細いチューブを、胸壁に垂直に差し込んで使うデバイスで、電気も使いません。30分や1時間もあれば、病棟やCT室で簡単に留置することが出来ます。

 下図のルアーキャップから、シリンジなどで空気を抜くことが出来、私のように多量の気胸が起きた場合は、ソラシックベントを留置した後にまずここから気胸の空気を抜いておきます。これだけで気胸が改善し、肺がよく膨らんだ状態に戻ります(中図)。

 あとは、患者さんが自然に呼吸をするたびに箱の中に軽度の陰圧がかかり、自然に持続吸引がかかるというわけです。気胸の時は少量の胸水を伴うことが多いですが、胸水や血胸は、肺の下端にある「ドレナージポート」から、シリンジで吸引することが出来ます。このように、自然呼吸による陰圧を利用して持続的に気胸を治療しつつ、必要に応じて手動で空気や液体を吸引することもできる、優れた道具がソラシックベントなのです。
 1週間くらいであれば、ソラシックベントを置いたまま日常生活を行うことも可能だそうで、私もソラシックベントをつけたまま東京に帰り、1週間くらい留置しておくつもりでいました。実際は、1月7日にCTを撮ったときに、勢いよく両手をバンザイしたら、カテーテルが抜けてしまい、大阪で抜いて帰ることになりました。東京で撮ったフォローのCTでは、ごく少量の気胸が残存していましたが、経過観察で十分治る程度のものでした。

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 このようにソラシックベントは、患者さんの負担が少なく、とても便利なものです。留置に必要な物品はキットになっていて、簡単に留置することが出来ます。留置手技の動画を下にのせますので、導入してみようかなと思った先生方、是非ご覧になってください(英語、3分46秒)。

www.youtube.com

(この項おわり)

ラジエーションハウスScan87に登場しています

放射線科お仕事マンガとして、フジテレビのテレビドラマ「ラジエーションハウス:放射線科の診断レポート」の原作が、グランドジャンプに掲載されています。
3月3日から、Scan 87(第87話)「希望の折り鶴」の連載が始まりました。小児CT被ばくがメインテーマになりになります。
著作権の関係で中身はお見せできないのですが、コンビニで380円で売ってますので、よかったら読んでみてください!

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2021年3月3日グランドジャンプの表紙:ラジエーションハウスScan87連載開始号

小児心臓CTや被曝低減の専門家として登場する、「本郷医大の前畑先生」って、誰でしょうね(笑)。
1つ前のWHOに引き続き、この地味な領域が急激に大きな注目を浴びていることにどきどきします。

同じストーリーの中で、小児心臓CTアライアンスの副代表である、川崎医療福祉大学の竹井泰孝さんらの率いる、被曝計測の話が出てきます。

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日本小児心臓CTアライアンス構成メンバー


WHO小児被ばくイベントに参加しました

WHOの教育機関であるGeniva Foundatioは、″WHO Scholar Level 1 course on radiation risk communication to improve benefit-risk dialogue in paediatric imaging″というインターネット上のコースシリーズを開講します。3月末ー5月末まで全13回、6時間x週の予習が必要で、火曜日に週1回世界中か参加者が集うインタラクティブ授業があります 

もともとはといえば、在宅勤務中でもなければなかなか挑戦する暇がないと思って申し込みをしたのですが、教える側として登壇することになりました。

3月2日日本時間22時には、専門家向けのspecial eventが開催され、国立成育医療研究センターの宮嵜治先生と、参加しました。


www.learning.foundation

当日の動画はこちらから視聴できます。

www.learning.foundation

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WHO Geniva Foundationの小児被ばくに関するspecial eventでコメントする宮嵜治先生

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WHO Geneva FoundationのSpecial eventでコメントしています

Special guestは、WHOのMaría del Rosario Perezと、Image GentlyのDon Frush。Geneva Foundation側の司会をつとめたReda Sadkiらが、”Our God mother and God father”と表現していましたが、小児被ばく業界ではまさに、そんな存在のお二人です。

登録者からの事前コメントやその場で寄せられるSNSYoutubeへのコメントのうち重要性の高いものに応えていく60分間のイベントでしたが、スーパースターの登壇に、世界中から3302名の参加者が集まりました。
これだけ参加者がいても、東アジア人からのコメントはほぼ皆無です。その中で、宮嵜先生が我々のコメントがスクショしてくださりました。グローバルデビューだ(笑)!
ゲストも大物ですが、WHO側の演出もすごくて、普通にアーティストのライブとして楽しめるレベルです。グローバルスタンダードを見ると、日本の学会も、もっとこういう工夫が必要だよなー。
そんな演出の力もあってか、本家コースへの参加者は1280名あまりに増加していました。3月23日から始まるコースシリーズでは彼らを指導者としてリードする側に立ちます。微力ながら、日本の経験が文字通り世界の役に立ち、また世界中の経験をまとめて日本の医療者と患者さんに還元できるように、良い仕事ができればと思います。

肺RFA体験記 part3:穿刺と実際の肺RFA治療

2021年1月4日に、大阪の都島放射線科クリニックにて、肺内再発3か所に対してCTガイド下経皮的ラジオ波焼灼術(Radiofrequency Ablation;RFA)による治療を受けてきました。part 1では、自由診療である肺RFAを選択した背景について、

Part 2は、治療を行っていただいた大阪の都島放射線科クリニックのアクセスと、検査前に撮像したCTの画像診断について、それぞれ詳しく説明しました。

erikospassion.hatenablog.com

part 3では、事前に予定していた2か所の肺内再発に加えて、当日見つかった心臓に沿った28mm大の細長い腫瘍の3か所に対して、実際にRFAを行っていただいた際の画像と体験記をお伝えします。

※この先出てくる動画は、肺が呼吸により上下・前後に動いている連続動画を、5枚飛ばし(6枚に1回)で動画にしたものです。そのためパラパラ漫画のように見えるかもしれませんが、実物はもう少し滑らかに動いています。でも肺は一定の速度で動いているわけではないので、実際も結構不連続な動きに見えます。
 

1、病変①:左肺S9横隔膜下直下の再発に対するRFA 

 手技開始は15時でした。私の病変はいずれも左肺にあったので、治療がしやすいように右を下にして寝ます。はじめに焼灼したのは、以前より認識されていた左肺S9の病変です。左図が穿刺前の画像、右図は、穿刺したあと病変に針を命中させ、少し焼き進めた画像(焼灼できたところに、成功のあかしであるすりガラス状濃度上昇が見える)です。
 針を刺しているルートとCTのビームは平行ではなく、少し角度があるため、実際の穿刺では針全体を見ながら針を刺すことが出来るわけではありません。術者は、診断時のCTで三次元的に病変と患者さんの身体の形との位置関係を想像しながら、右図の青矢印のように、非常に限られた「視野」の中に針の走行を思い浮かべて、針を命中させることになるのです。

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左肺S9横隔膜近傍の病変への穿刺ルート

 この病変は横隔膜の直上なので、とてもよく動く場所でした。しかも、肺の下の方なので肋骨に角度があり、極めて狭いスペースから病変を狙わなくてはいけなかったため、この病変だけは鎮静剤なしで呼吸を止めての穿刺となりました。

 斜めになった肋骨に角度がつくように針が入っているので、穿刺が命中すると狭い肋間を針がこじ開けるので痛かったですが、この穿刺が命中しさえすればあとは眠っても大丈夫とのことで、数分で鎮静剤で眠らせてもらえました。

 鎮静前に呼吸止めで撮った動画はこんな感じ。この短時間に目的の腫瘍の真ん中を「射抜く」テクニックはすばらしいです。


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鎮静後は、何度か針の角度を変えながら焼灼していきます。この狭い範囲で「角度を変える」のがどれだけ繊細な作業か!自由呼吸下で病変を「射抜く」スゴ技の動画は次項以降にお見せしますので、是非想像してみてください。

 

2、病変②:左肺S9胸膜に沿った再発に対するRFA

 次の病変は同じ左肺S9です。もとはこんな感じの、胸膜に接したごくごく小さな結節です。こんな微妙な病変に、針を命中させるだけでもすごいこと。

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左肺S9病変。左1枚が病変①、左右側3枚が病変②です。

 最初に針を刺すときはこんな感じ。この病変は当初胸膜播種が心配されていましたが、針が命中すると、胸膜と針の間に少量の空気濃度ができたことから、病変は胸膜よりも肺実質側にあることがわかります。CTの空間分解能ではわからない、胸膜直下結節と胸膜播種をこうして鑑別できることは、放射線診断医には画期的です。

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オレンジ矢印が焼灼後の病変①、青矢印の先端が、今回焼灼した病変②の先端です。

 私は鎮静されていて呼吸止めできませんから、肺はこんな風にバンバン動いているわけです。これだけ胸が動く中で、小さな病変に針を命中させるのは神業としか言いようがありません。

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 しかも、こんなに小さな病変でも、角度を変えて複数回焼くのです。

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 次の図の左図と右図を見比べると、ちゃんと角度を変えて複数回焼灼していることがわかります。
 RFA後の画像所見ですが、オレンジ矢印が焼灼が終わった病変①です。これは典型増で、焼灼部位の周囲に比較的濃度が高いすりガラス状濃度上昇が広がる一方、遠心性に少し濃度が低い部位があり、そのさらに外側を取り囲むようなすりガラス状濃度上昇を示します。外側のすりガラス状濃度上昇がみられた範囲まで熱が入っています。焼灼マージン(治療域内再発を来さない安全域)は腫瘍の輪郭から5mm以上と言われますが、十分な範囲が焼灼できていることがわかります。
 青矢印で示した病変②は小さいため、上のような3層構造ははっきりせず、病変があった範囲全体に濃いめのすりガラス状濃度上昇がみられますが、おつりがくるだけの焼灼マージンをとれていることがわかります。おまけに、焼灼で生じたすりガラス状濃度上昇と胸膜の間に沿って、1層の空気濃度が認められますので、やはり胸膜播種ではなく、病変が胸膜から離れていることがわかります。

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焼灼に成功した画像。

参考:RFAの成否とCT画像所見の推移(Open access

Jose de Arimateia Batista Araujo-Filho et al., Lung radiofrequency ablation: post-procedure imaging patterns and late follow-up. European Journal of Radiology Open
Volume 7, 2020, 100276. DOI: 10.1016/j.ejro.2020.100276

 

3、病変③:左肺S8心臓に沿った再発に対するRFA

 最後はRFA開始1時間前に見つかり、その場で実施をお願いした病変③です。
 静止画で見ても、よくこの経路を見事に射抜いたものだと、惚れ惚れする穿刺経路。そこを、またもや角度を変えて何度も穿刺し、必要十分な熱量を加えて心臓が焼き肉にならない程度に焼いてくるのですから、神業です。

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病変③:左肺S8の心臓直下の細長い病変を鮮やかに打ち抜く。


 この病変は当然のことながら心臓の横にある分、呼吸だけでなく心拍の動きもダイレクトに伝わってきますから、動画で見ると恐ろしくなるような動き具合。そんな中で病変を縦に射抜く様子は、「気持ちいい!」とさえ叫びたくなります。

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 画像上、焼灼マージンもばっちり。ということで、病変①②③とも、complete response (CR)にて完治することが出来ました。

 

 術後は鎮静剤がよく効いて、ホテルに戻ってからは夕食だけ食べてよく寝てしまいましたが、気持ち悪くなることも、痛みや呼吸困難に苦しむこともなく、朝までぐっすりでした。
 術後経過については、Part 4に続きます。

肺RFA体験記 part2:アクセスと画像診断



 2021年1月4日に、大阪の都島放射線科クリニックにて、肺内再発3か所に対してCTガイド下経皮的ラジオ波焼灼術(Radiofrequency Ablation;RFA)による治療を受けてきました。part 1では、自由診療である肺RFAを選択した背景について詳しく説明しました。

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part 2では、都島放射線科クリニックへのアクセスや提携ホテルの宿泊事情に続いて、術前画像の詳しい画像所見について説明します。

 

1、RFA当日、東京を出る

 2021年1月4日、仕事始めの月曜日が治療日と決まりました。都島放射線科クリニックでは、RFAの前にまず造影CT(単純CT+動脈相+遅延相)を撮像して、詳細な画像診断を行ったのちに治療を行います。このため、RFAは15時の予約でしたが、造影CTの予約は11時と早め。7時半ごろの新幹線に乗ることにしました。新型コロナの緊急事態宣言が出るかでのタイミングで、東京駅はガラ空き。
 新大阪まで2時間半、新大阪から隣の大阪駅までJR京都線で1駅、大阪環状線に乗り換えて大阪→天満→桜ノ宮で2駅。新大阪からたったの3駅で、あっという間にクリニックのある桜ノ宮駅に着きました。路線図は鉄道オタクの息子との合作(笑)。

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 桜ノ宮駅は東と西に改札があり、どちらもクリニックやホテルに近いのですが、エレベーターは東にしかありません。西口で出ると、階段しかない上に、高架駅から荷物を担いで降りて、もう一度昇らないといけない構造になっていますので、エレベータのある東口で出るようにしましょう。
 RFA治療は入院して受けることもできるのですが、提携先の「大阪リバーサイドホテル」がとてもよいので、ほとんどの患者さんがホテルに泊まるそうです。ホテルは病院から5分程度と近いので、必要があれば先生や看護師さんも来てくれますし、提携先の訪問看護サービスもあるので、とても安心。
 家族は病院にいる必要はないが、何かあったときのために大阪にだれかいたほうが良いとのことで、父と冬休み中の息子を同伴しました。宿泊したのは、和モダンのトリプルのお部屋で、畳にローベッド、そして小学生の勉強を見るのにうってつけの、広い座卓とちょうどいい高さの座椅子クッション。お部屋は大変快適で、コスパ最高でした!予約時に頼める1000円朝食が大変充実しており、家族で愛用しました。昼食・夕食は隣のセブンイレブンもありますし、ウーバーイーツや出前館でもです。ロビーに電子レンジもあり、大阪ならではのグルメを購入して温めるのもあり。夕食時には重宝しました。
 泊数はRFAの部位によりますが、日帰りや1泊で帰る方が多いようですが、私はアスピリン喘息で普通の痛み止めが使えないこと、脳壊死直後で大事を取りたいこと等を考え、余裕を持て2泊することにしました。最終的にpart 3に書いたように3泊したのですけどね。

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大阪リバーサイドホテル概観




 川べりの気持ちの良い道を歩くと、5分ほどで都島放射線科クリニックに着きます。桜ノ宮の名前の通り、この川べりの道は桜並木になっていて、お花見シーズンは素晴らしいそうです。

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 駅からの詳しい行き方は、クリニックのホームページへ

www.osaka-igrt.or.jp

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都島放射線科クリニック概観



2、画像診断

 正確な治療は正確な画像診断から始まります。

 

2-1 病変①:左肺S9結節

 前回CTを撮影したのは、放射線脳壊死で緊急入院となった12月8日。1か月ですのでそんなに変わっているわけがないような気がしますが、左側のくりっとした転移は、直径9mm→11mmに増大していました。直径にして1.22倍ですが、体積は3乗で効いてきますので、体積したらこの1か月でなんと3倍に増大したことになります。癌の増大速度はあなどれません。こういうものを放っておくと、ある時突然増大速度を上げて、小細胞癌への形質転換が顕在化したりするために、今回新年早々慌てて焼きに来たわけです。とりあえず、他に飛んだり浸潤したりしていなくて、一安心。

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2020年12月8日にすでに指摘されていた2か所の再発

2-2 病変②:左肺S9胸膜下結節

 上図の向かって右側に3つ並んだ結節は、胸膜に接する小さな結節。直径6mm程度で、どこに病変があるのかわからないような結節ですが、2020年8月、10月、12月と経過を見ると、確かに8月になかった結節が10月、12月と増大しています。こちらは1月4日のCTではほとんど変化がないように見えましたが、増大傾向から再発は確実ですので、予定通り焼灼します。
 放射線科内で少し意見が分かれたのは、これが肺転移なのか、胸膜播種なのかということです。播種を疑われた根拠は、ごく少量の胸水が少し増加していたことと、胸膜に接するロケーション。まず、胸水はこの6年間増えたり減ったりしていますので、再発のマーカーとしてあまり使えません。ロケーションについては、再発が出現するたびに問題になってきたのですが、2019年に胸膜に接する転移を2回に分けて7カ所手術した際に、いずれも病理では肺実質内に存在しており、肺の膜である胸膜弾性板より内側にあることがわかっています。手術中に胸腔鏡でくまなく見ていただきましたが、播種を疑う結節もほかにありませんでした。
 今回も同じだろうと推察されたので、私の中では播種ではないだろうと踏んでいました。part 3に書きますが、実際に病変は肺内に存在し、播種ではありませんでした。
 CTの空間分解能はせいぜい0.5mmで、マイクロメートルの単位の胸膜の細かい構造を見ることはできません。胸膜に結節が無数にあれば播種だと判断できますが、私のようにごく少数しか結節がない時、形態的にあたかも播種のように見えても播種でなく、肺内転移であるということはままあります。安易に「播種」と診断してしまうと、患者さんから局所治療の選択肢を奪うことになりかねません。「胸膜に並んだ結節のわりに播種にしては数が少ないな」と思ったら、一度立ち止まって「肺内・胸膜転移ではないか?」と疑う慎重さが、放射線科医には求められます。

 

2-3 病変③:心膜に接する左肺S8結節

 白状すると12月まではノーマークだったのですが、当日のCTで保本卓先生に「これも再発ではないか?」と指摘されたのが、左肺S8で心臓に接する28x8mm大の結節です。
 この場所は、2回目の再発に対する2回目の手術で5カ所の再発を切除した場所で、クリップに沿って肺がつぶれている場所です。そのため以前から小さな部分無気肺(細い気管支がクリップでつぶれてその先が虚脱した状態)があり、虚脱した肺の量も多少増減してきた場所なのです。2020年3月27日と2020年8月11日を見ると、3月のほうがむしろ目立ち、8月には目立たなくなっています。もともとこのような変化がある場所は、再発に気が付きにくく要注意です。
 私自身10、12月のCTを見たときは「いつもの術後性変化と無気肺があるな」程度の認識だったのですが、今見直してみると、10月はまだしも、12月は「実が目立つ」あるいは「棍棒状」ように見えます。
 癌のフォローCTは造影剤を使うことが多いですが、東大も含め多くの施設では、造影剤を比較的ゆっくり注入して90-120秒後程度に1回だけ撮影することが多いです(手を抜いているわけではなく、放射線被ばくや急速に造影剤を注射することの安全性との兼ね合いもあります)。都島放射線科クリニックでは、造影剤を勢いよく注射して、動脈相と遅延相という2回のタイミングで撮る撮影法を用いています。再発癌、しかもこれからRFAで治療する(どこをいくつ焼くのか決めなくてはいけない!)に当たり、見落としなく診断したいというこだわりなのでしょう。

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現地で新たな再発が疑われてRFAを行うことにした3か所目の病変

 今回に関しては、2回の撮影をしたことが非常に役立ちました。下段はどちらも2021年1月4日のCTですが、左側が早いタイミング(動脈相:3.5ml/秒で注入後30秒撮像)、右側が遅いタイミング(遅延相:造影剤注入開始後120秒)で撮像したものです。上段に見られた4枚の画像はすべて遅いタイミングでの撮影で、あまり造影効果が認められません。ところが、1月4日の動脈相では、病変に非常に高い造影効果が見えています。遅延相では造影効果は「抜けて」、濃度が低くなっていることがわかります。動脈相で高い造影効果がある、ということは、腫瘤に「血が通っている」、つまり元気よく成長している癌であることが示唆されます。
 この病変は、当初RFAの予定に入っていませんでした。しかし、28x8mm大でなんだかんだ言って一番大きいですし、画像をよく見ると見れば見るほど再発に見えてきます。心臓に沿ってへばりつく再発で、RFAで焼くにはダントツでリスクの高い怖い場所ですが、保本先生にお願いして、即断即決で一緒に焼いて頂くことにしました。
 と、簡単に言っていますが、心臓がバンバン動いている横の本当に怖い場所です。よく、RFAを開始するたった1時間前に、OKして頂けたもんだと、保本先生の実力と胆力に感動してしまいます。

オリゴメタの治療戦略

 オリゴメタとは、少数(オリゴ)転移(メタ)を意味する用語です。局所治療がどのくらいよく効くかは癌の種類によってかなり異なりますが、我々の世界では肝転移や肺転移がある大腸癌の患者さんで、手術やRFAを積極的に行い続けることで、いつの間にか癌が出なくなる、ということをよく経験します。

 肺癌でも、最新のステージングでは胸部だけに転移が限局しているもの(Stage IVa)、胸部以外にも病変があるが少数のもの(Stage IVb)は、全身に多数転移がある者(Stage IVc)とはステージを分けて考えることになっており、Stage IVaやIVbはそれだけ予後や治療効果が期待できることを示します。

 オリゴメタに対する積極的な局所治療(手術、放射線治療、IVR)により救われる患者さんがいること自体、医療の中でも知られていなかったり、懐疑的な見方をされたりすることがよくあります。懐疑的な見方をされてしまう一番の理由は、「オリゴメタ」という集団があまりに多彩で、まとまったエビデンスを作りにくく、着実な局所治療を繰り返すことが本当に予後を改善するのか、誰も知らないからです。でも、オリゴメタに対する積極的な局所治療の恩恵を受ける患者さんは確実にいます。今後もエビデンスが作りにくい領域ではありますが、私の経験からオリゴメタとその治療戦略に関して「これもアリだよね」と思ってく下さる方が増えるように、経過や画像を公表することにしました。

 

1、原発巣(2015年2月、37歳)

 2015年2月に職場で行われた健康診断を自分で読んで、肺癌が疑われることを自分で発見しました。その場で同僚にCTを撮ってもらい、癌と確信したのがこちらの画像です。

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2015年2月に自分で診断した原発性肺癌

 左肺上葉切除の結果、胸膜浸潤(pl2)と胸腔内洗浄細胞診Class 5(悪性)があり、ステージはT2aN0M0、Stage IBと診断されました。胸膜浸潤があると、Stage IBとしては予後が悪い(5年生存率30%程度)と予測されたため、術後補助化学療法として日本の標準治療であるUFT2年間服用ではなく、シスプラチン(CDDP)とナベルミン(VNR)を4コースという普通の化学療法を行いました。

 

2、再発

 2017年7月には、胸膜に接して6か所の小結節が出現し、翌月のフォローCTで増大傾向を認め、悪性腫瘍の再発と判断されました。過去に胸膜浸潤があったこと、いずれの結節も胸膜に接するように見えることから胸膜播種が疑われ、分子標的薬のアファチニブ(ジオトリフ)を開始することになります(のちに胸膜播種は否定)

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2017年8月に指摘された胸膜結節。

3、再発②③④(肺内転移・縦隔転移)

 2019年1月には、胸膜の結節が急速に大きくなり、肺靭帯リンパ節に20mm大の転移も出現しました。FDGの集積も高く、これまでの腺癌とは性質が異なると判断し、診断と治療を兼ねて手術で肺底部の結節(6カ所の再発結節のうち5カ所いっぺんに)と、肺内リンパ節転移を切除しました。

 当時は胸膜の結節は播種と思われていたため、手術適応はないのではとかなり議論になったのですが、病理の結果、胸膜に並んだ結節はいずれも肺の膜(内弾性板)の肺実質側に存在することがわかり、いずれも播種ではなく肺内転移であると判断されました。胸膜播種がなかったことにより、根治性がある可能性がでてきたことは非常にラッキーでした。

 手術の結果、小細胞癌への形質転換が認められたため、カルボプラチン(CBDCA)とエトポシド(VP-16)の化学療法を4コース行いました。

 2019年6月、化学療法終了後のCTで、残っていた最後の結節が増大したため、3回目の手術を受け、残存結節を切除しました。病理は腺癌でしたが、この時行われた東大オンコパネル検査により、腫瘍細胞にp53+RB1+PTENの変異が見つかり、遺伝学的には腺癌ではなく小細胞癌とわかりました。これがわかったことで、一見腺癌に見えても今後急速増大して小細胞癌が顕在化するリスクを抱えていることがわかり、以後の迅速は判断に役立ちました。

 2019年9月、左心房に接する肺門リンパ節に22mm大の転移が出現。FDGの取り込みも多いことから小細胞癌の再発と判断されました。切除には人工心肺を回して左肺の摘出+左心房の一部の摘出が必要でリスクが高すぎるため、放射線治療(SRT 50Gy/10Fr)を行いました。

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2019年に行われた2回目ー4回目の再発治療

4、再発⑤(脳転移)

 2020年3月には、急速に増悪する脳圧亢進症状(頭痛、嘔吐、吐き気)により、左後頭葉に5cm大の再発が発覚しました。

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 左後頭葉を中心とする開頭手術で腫瘍を取り切れることが出来ましたが、両目の右視野を司る左後頭葉を失ったことで、右同名半盲や失読の症状に苦しむことになりました。これは、脳の一部を失ったために固定した障害ですので、今後一生付き合っていかなくてはいけません。

 病理は小細胞癌でしたので、治療終了後IMRT(30Gy/5Fr)の放射線治療を行ったうえで、2回目となるカルボプラチン(CBCDA)+エトポシド(VP-16)4コースの化学療法を行いました。放射線治療の後には、後頭部に広範な脱毛が起き、化学療法でさらに薄くなりましたが、4か月ほどすると髪の毛は再び生えてきました。

 

5、放射線脳壊死(Radiation necrosis)

 12月に入ると、急速に増悪する脳圧亢進症状(頭痛、嘔吐、吐き気)に加えて、言葉が出にくい、言葉が理解できない、ものが読めないといった症状が出現し、緊急入院となりました。

 診断は放射線治療に伴う脳壊死で、照射後にまれに起きることのある後遺症でした。

 ステロイドとグリセオールで脳浮腫を取り、脳圧を下げる治療を行うことで、脳圧亢進症状、失語症状は改善してきましたが、失語に関して残っているものもあります。

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放射線脳壊死が一番ひどかった時の画像。脳ヘルニア寸前の危険な状態です。

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放射線脳壊死は、放射線科医としてもまさかの経験でした。

6、再発⑥(肺内転移)

 放射線壊死に対して入院した際のCTで、左肺底部の結節が次第に増大していることが判明し、肺内転移と思われました。前述のとおり、放射線脳壊死治療との兼ね合いもあり、最速で最も安全に治療を行う方法として、RFAで肺転移を焼灼することにしました。

 治療は日帰りで成功裏に終わり、現在は完全寛解(Complete Responce)となり、キャンサーフリーを謳歌しています。

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3カ所の肺底部再発とそれに対するRFA

 

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肺RFA体験記 part1:適応

はじめに

 2021年1月4日に、大阪の都島放射線科クリニックにて、肺内再発3か所に対してCTガイド下経皮的ラジオ波焼灼術(Radiofrequency Ablation;RFA)による治療を受けてきました。肝腫瘍に対しては熱で治療するRFAが、小さな腎癌に対しては凍結して治療するクライオアブレーションが保険適応ですが、肺に対するRFAはまだ保険が通っていない自由診療のため、アクセスが限られます。part 1では肺RFAの現状、適応の考え方と、今回私自身がRFAを選択した背景について探ります。

 

1、RFAとはどのような治療か

 RFAは、悪性腫瘍の治療方法のひとつで、現在では肝臓の悪性腫瘍に対して保険適応となっているものです。似た技術で、小さな腎癌に対するクライオアブレーション(腫瘍に針を刺して凍結して癌を殺す)も保険適応です。超音波やCTを見ながら(肝臓や腎臓では通常超音波を用います)、腫瘍に命中するように直接針を刺し、針の先から「ラジオ波」という電磁波のエネルギーを照射することで病巣に熱を与え、腫瘍を直接焼き殺してしまいます。焼き殺すことをしばしば「焼灼(しょうしゃく)」と言います。

 下図はWikipediaから拝借したものですが、電磁波は波長により性質や名称が異なります。一番有名な電磁波は、可視光(真ん中の虹色のところ)でしょう。可視光の中でも波長が短いものは青や紫色に近い光となり、もっと波長が短くなると目に見えない紫外線になります。波長がもっと短くなると、X線ガンマ線になります。逆に、可視光の中でも波長が長めのものは赤い光となり、もっと波長が長くなるとやはり目には見えなくなって赤外線になります。波長が特に長い電磁波を「ラジオ波」といい、RFAに用いられる波長はAMラジオに近いと言われています。

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電磁波の波長と名称

 RFA治療を行う医師は、エコーやCTで画像を見ながら適切な場所に針を刺し、さらに病変ごとに適切な量のエネルギーを与えて治療を行います。保険適応となっている肝臓のRFAは標準治療のひとつとして、主に全国津々浦々の消化器内科で広く行われています。

 

2、肺RFAの現状

 広く行われている肝臓のRFAや腎臓のクライオアブレーションに比べて、肺のRFAは同じ技術を用いるにもかかわらず、保険適応がないため実施している施設が非常に限られます。その理由の一つは、肺RFAを行うとすれば担当科となる放射線科のマンパワーと技術の問題があります。

2-1 放射線科医のマンパワー

 放射線科医は、画像診断を担う診断医と、癌の放射線治療を行う治療医に大別されます。肺RFAのような治療はInterventional Radiology(IVR)(日本語では、画像下治療)と呼ばれる領域に相当し、診断医の管轄になります。

 現代医療は画像診断に依存する部分が非常に大きいですから、CT、MRI核医学検査などの画像診断が全国で激増しています。画像診断は、出来上がった画像をパソコンの前で読んでいるだけと思われるかもしれませんが、一つの検査の中には、検査を正しく行うための適応判断、検査方法の選択、診断、依頼医との密なやり取り、治療方針を決める院内カンファランスへの出席、放射線量を適切に管理するための被ばく管理など、非常に多岐に渡る仕事が含まれます。

 直接患者さんの病気を治すことが出来るIVRは、診断医にとって非常にやりがいがあり、重要性も高いものです。でも、いかんせんマンパワーが足りません。我々は診断だけを取ってみても多岐に渡る業務と格闘しながら、IVRも行わなくてはいけない前提として知っておく必要があります。
 よく「AI(人工知能)が発達すれば放射線科医の仕事はなくなる」という趣旨の発言をする人がいますが、AIが担える業務は診断業務のごくごく一部に限られますし、そんなAIであっても「AIの手も借りたい」のが大方の放射線科医の本音です。

2-2 穿刺と焼灼の技術のギャップ

 さて、診断に忙しい放射線科医ですが、多くの施設で診断と同時にIVRを担ってきました。中でも肺の診断に欠かせない「CTガイド下肺生検」(CTを見ながら肺の病変に針を刺して、診断に必要な組織を採ってくる検査)は、臨床科の先生方に頼られる場面が多いものです。実は、放射線科医はCTを見ながら針を刺して肺の組織に命中させる、ということに関してはすでにエキスパートなのです。穿刺だけを考えると、RFAくらい簡単にできそうな気がしてしまいます。

 しかし、ラジオ波を当てて熱で焼く、となると、また次元の異なるステップなのです。どんな病変を治療するのに、どこからどれくらい熱を与えたら、再発や合併症なく治療できるのか。これまで経験してこなかった施設は、手探りで行わなくてはいけませんし、この手の手技は習ってできるものではなく、相当の経験が必要です。手技を習得して症例数を稼ぐだけでも難しいのに、全国で保険適応になるためには、多くの施設で許容できる程度の合併症発生率で、十分な患者さんに対して高い治療成績が得られないといけません。ここにとてつもなく高いハードルがあるのです。

 放射線科医の分布は全般に西高東低ですから、ただでさえマンパワーが少ない東日本の放射線科医は、新しい手技や診療体制の整備を行う余裕がなかなかありません。全国を見回せば、少ないながらも肺RFAを積極的に実施している施設はあるのですが、いずれも西日本の施設となっています。

 将来性のある素晴らしい治療だけに、放射線科医のマンパワーがもっともっと充実し、全国の患者さんが肺RFAの恩恵を受けられる日が来ることを願ってやみません。

 

3、肺RFAの適応

 上記のような背景もあり、十分なエビデンス(治療成績や安全性に関する信頼性の高い論文)がないため、肺RFAは今のところ標準治療にはなりえません。

 一般的によく使われる適応基準は

  • 原発性肺癌 転移がなく、単発で3cm以下
  • 転移性肺癌 3cm以内のものが3つ以下

 但し、施設によって多発肺転移に対する治療も行っています。参考までに、日本で(世界でも?)一番多くの件数を経験しており、私もお世話になった都島放射線科クリニックの治療成績や多発肺転移の焼灼に関するサイトのリンクを掲載します。特に、化学療法が効かなくなってしまった患者さんに対しては切り札の治療として喜ばれることが多いようです。

www.osaka-igrt.or.jp

 自由診療ですので数十万円(私の場合で70万円程度)の費用が掛かります。

 

4、私がRFAを選択した背景

 私が肺RFAを受けたのは、初発から6年目の6回目の再発でした。これまでの病歴を簡単にまとめると

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  • 2015年2月 初発 左肺上葉切除+術後補助化学療法
  • 2017年7月 再発 胸膜結節、分子標的薬治療
  • 2019年1月 再発② 胸膜結節と縦隔リンパ節増大 手術+術後補助化学療法
  • 2019年6月 再発③ 手術
  • 2019年9月 再発④ 縦郭リンパ節転移 放射線治療
  • 2020年3月 再発⑤ 脳転移 手術+放射線治療+術後補助化学療法
  • 2020年12月 脳の放射線治療後の放射性脳壊死
  • 2020年12月 再発⑥ 3回目の再発の手術箇所に局所再発

という経過で、今回問題となったのは再発⑥です。これまでは「一刻も早い標準治療」をモットーとしてきましたので、私を知る周りのドクターたちにも意外に思われた選択でした。

 しかし、様々な事情を考慮すると、他にないという結論に達したのです。

  1. 再発⑥を除ければ、画像上ほかに再発がないこと。
  2. 肺結節は隣接する2つ(RFAの場でもう一つ見つかり3つ)で、局所治療で完全寛解可能
  3. 原発巣は胸膜浸潤あり(pl2)で胸腔内洗浄細胞診Class 5。胸膜に接する結節は画像上播種との鑑別が問題になったが、再発②③の手術時に病変は内弾性板の肺実質側に存在していて播種もなく、胸腔内洗浄液にも癌がいないことを確認しているため、播種はないと考えられること。
  4. 原発巣の病理は腺癌だったが、過去繰り返し小細胞癌への形質転換が起きており、2019年6月に実施した東大オンコパネル検査でも、腺癌であった組織から小細胞癌の遺伝子変異が出ており、潜在的には小細胞癌と考えられ、一刻も早い治療を行いたいこと
  5. 12月上旬に放射線脳壊死が起きたためにステロイド治療を行っていること。一般的に手術可能の目安と言われるプレドニン10mg(デカドロン1mg)換算に到達できるには相当の時間がかかりそうなこと。
  6. 肺病変を急いで手術するためにステロイド減量を急ぐと、放射線脳壊死による脳浮腫のリバウンドが起きるリスクが高いこと。
  7. 過去に喘息でも長いステロイド使用歴を経験しており、ステロイド減量を急ぐと脳浮腫に加えて喘息悪化(それも手術やコロナのリスク)の危険があること。
  8. 残存腫瘍に対して放射線治療を行う手もあったが、放射線肺炎により局所の状態がよく評価できなくなってしまうことに私が抵抗があったこと。
  9. 胸膜結節が播種でないことを確認したいこと。

以上の事情を考え、ステロイドを減量せずとも実施可能で、すべての条件を満たすことができる肺RFAを受ける決断を下したのでした。

 都島の先生とは個人的に学会やFacebookでつながりがあり、2020年12月26日にRFAを打診したところ、ちょうど1月4日の枠が空いているということで、2021年年明け早々、治療を受けることに決めたのでした。

当事者研究の開始について

 もともとPassion 受難を情熱に変えて(医学と看護社)の原稿執筆のために立ち上げたこのブログ。Passionの出版後は方向性が定まっていませんでしたが、このたび、本サイトは第一線で活躍する放射線科&患者として、正確な情報と言葉に基づいて当事者経験を発信する場してリニューアルしました。

 

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2020年12月初旬、3回目の化学療法後やっと髪の毛が生えてきて、久々に学内の美容院に行きました。

 43年間の人生、約30年間は病気と闘いながら過ごしてきました。

 10代の頃、特に医学部に入るまでは自分が海のものとも山のものともつきません。病気という「人生に不利になる情報」にはできるだけ触れずに社会生活を送るように心掛けました。厳しい呼吸困難が持続する中、一番苦しいことに目を背け続けることは心身に大きな負担を与え、心身の変調をきたしたこともありました。20代の頃は、在宅酸素になったり大腿骨頭壊死で脚が不自由になったりと、見た目で病気を隠すことができなくなりました。それでも、できるだけ病気のことがキャリアや結婚・出産を含めた人生設計にマイナスにならないように努力しました。その結果、20代、30代では自分の闘病経験とはほとんど関係のない放射線医学の領域でキャリアを積むことができ、金融マンである夫と結ばれ、男の子を授かり、人生の基盤を確立することができました。

 肺癌になったのは37歳の時でした。以後、プロフィールのもあるような手強い再発・転移と相次いで闘ってきました。3回目の再発で予後の悪い(生存期間の中央値が8か月)小細胞癌が出たとき、ここでこれまでの人生で学んだことを書かなかったら絶対に後悔する、と、半生記「Passion 受難を情熱に変えて part 1 & 2」を執筆しました。これが転機となり、新聞、Webメディアやラジオなどで患者経験を発信する場が増えてきました。

 もう一つの大きな転機となったのが、2019年9月に受けた、4回目の再発に対する胸部の放射線治療でした。

放射線科医として放射線治療を経験する」

この経験が、放射線科医としての自分の広がりを決定的に変えました。放射線診断専門医は、専門医の一次試験までは放射線治療の勉強もしますので多少の知識はありましたが、当事者として経験する放射線治療は、診断医にも治療医にもなかなかできない、第3の視座を与えてくれました。

 その後も、2020年3月の5cmの脳転移の手術+放射線治療+化学療法、腫瘍そのものと手術により左後頭葉を失ったことによる半盲と失読、2020年12月に生じた放射線脳壊死(radiation necrosis)とそれによる失語と、色々経験しました。これまで当たり前のようにできていたいろいろな能力を失い、率直に言って辛いことの連続ででした。しかし、特に脳の世界は、患者が実感している世界と医学用語で知っている世界に大きな隔たりがあり、意外に医療スタッフには見えていないことが多いとを実感しました。また、数々の不便な症状を克服しながら仕事を継続するため私自身が編み出してきた工夫が、他の患者さんや彼らの診療に当たる医療者にとって、リハビリや社会復帰の場でどれだけ参考になるかを知りました。

 極めつけては、2020年12月の脳壊死時に見つかった、6回目の再発である肺内転移でした。脳浮腫の治療ですぐには手術を受けられない状況でしたが、相手は癌ですから放置しておくわけにはいきません。私は放射線科医の仲間にコンタクトをとり、「電子レンジの原理で肺の病変を焼く」、ラジオ波焼灼(RFA)という治療を受けることにしました。放射線科では非常に期待がかかる治療ですが、関西のごく一部の施設でしか行われていない自由診療の治療です。結果は大成功で、心臓、胸膜、横隔膜に接する3か所の難しい転移を、日帰りで、きれいさっぱり焼き切ることが出来たのです。

 

 放射線治療放射線脳壊死、肺RFAと経験してきて、私は確信しました。

 

 私の経験は私だけにとどめておいてはいけないと。

 放射線科医として、骨の髄まで放射線医療を経験した私が書き残すことが、放射線医学を進歩させるのだと確信したのです。

 そこで、まずはこちらのブログに当事者研究として書き溜めていくことにしました。当事者研究というジャンルはサイエンスの中でも手法が固まっているわけではないようですが、いずれ適切な発表の場があればぜひ、機会を頂ければ幸いです。

 

 最後に、当事者として経験したことのリストを掲載しますので、参考にしていただければ幸いです。こちらのブログやメディアでのリクエストもお受けしますので、ご興味のある方はご連絡ください。

 

【喘息】

気管支喘息アスピリン喘息、喘息重積発作、肺性心、心不全、呼吸停止、心肺停止、CPAサバイバー、気管内挿管、人工呼吸、在宅酸素療法、呼吸リハビリ、ステロイド依存性、ステロイド抵抗性、免疫抑制剤、シクロスポリン、金製剤(シオゾール)、ステロイド減量、運動療法、酸素からの離脱

 

ステロイド副作用】

大腿骨頭壊死変形性股関節症、脚長差、外転外旋拘縮、加圧トレーニング(による拘縮の解除)、ステロイド緑内障、線維中切開術、ステロイド白内障ステロイド不眠、肥満、ステロイド下のダイエット(医学生時代に12kgの減量に成功)、生活習慣病予防

 

【妊娠出産】

ハイリスク妊娠、低酸素、在宅酸素療法、周産期管理、帝王切開

 

【肺癌】

検診(自分で発見)、腺癌、胸腔内洗浄細胞診Class 5、胸膜浸潤、pl2、術後圃場化学療法、EGFR遺伝子変異、exon 19 del、シスプラチン、ナベルミン、CVポート、肺内転移、肺靭帯リンパ節転移、サルベージ手術、小細胞癌、神経内分泌癌、形質転換、カルボプラチン、エトポシド、脱毛、外見ケア、ウィッグ、ジオトリフ、肺門リンパ節転移、SRT、放射性冠動脈周囲炎、左後頭葉転移、開頭手術、IMRT、放射線脳壊死、脳浮腫、脳ヘルニア、ステロイド減量、イソバイド、ラジオ波焼灼(RFA)、肺RFA、

 

【脳機能障害(脳転移の治療+脳壊死の結果生じたもの)】

同名半盲後頭葉、側頭葉、優位半球、探索障害、失読、逐語読み、言語野、失語、意味失語、無意味語、漢字、ひらなが、かたかな、Wernicke野、紡錘状回、角回、優位半球

 

放射線医学関連の患者経験】

CT、MRI、PET-CT、CVポート、放射線治療、SRT、IMRT、治療計画、頭部CTのにおい、放射線脳壊死、radiation necrosis、肺RFA、都島放射線科クリニック

 

【こころのケア】

思春期、反抗期、親に言わない、低酸素、帰国子女、学業不振、努力、人間関係、うつ、自殺未遂、将来への不安、東大受験、医師国家試験、専門医試験、自立、自活、親になる、こどもへのがんの伝え方、ホープツリー、3つのC、小学生の成長、親の病気と子供、子供の成長とがんの理解、子供の生活力

誰も取り残さない気象情報発信

 本業は医者と大学教員のはずですが、Facebookでの気象情報発信から、為政者の方、自治体の防災担当者、気象ヲタ仲間などいろいろな方と知り合い、それがきっかけで、様々場を与えていただいています。
 2020年10月28日には、参議院議員会館で行われた、第48回未来都市政策研究会にて、2回目の講演を行いました。

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顧問の室井邦彦衆議院議員(維新、国土交通省政務官)も、大阪特別区創設投票直前で大阪入りするたった数時間前というなか、最初から最後まで聞いて下さり、私の提案を直接お話しすることが出来ました。
 10月30日には、荒井聡衆院議員(立憲)の音頭で発足した「気象庁応援団」に加えて頂きました。発足式は荒井先生を筆頭に気象庁長官、10月1日に気象庁に新設された気象防災監(防災のトップ)、気象庁総務課長をはじめとする豪華な顔ぶれで行われ、気象防災発信に関する意見を、直接気象庁「超」幹部の方々に直々にお伝えする機会を頂きました。いろいろ意見交換を行い、今後「応援団」として気象情報発信に関して色々協力する機会を頂けそうです。

 「誰も取り残さない」は、私の生き方のキーワードになっています。子供のころから、授業は勉強が簡単で暇で仕方なかったので、ミニ先生をしていました。知的障害のクラスメートに諦めずに算数を教えたり、避難訓練では、小学校3年生にして先生が前を先導する中「しんがり」として遅れる子たちと手をつないで逃げていました。推薦されて5期連続学級委員についていましたから、それなりに頼りにされていたのだと思います。大学教員となっても、学位のテーマをもらいそびれて困っている高学年の院生たちを何とかするのは、いつしか私の仕事になっていきました(それ自体はもちろん賛否ありますが)
 気象情報に関しても、キーワードは「誰も取り残さない」です。上記のような研究会でも、災害でまず亡くなるのは災害弱者の方であり、災害弱者は得てして情報弱者でもあることから、機会あるごとに私は個の時代に適切な避難行動を促すためのシステムを提案しています。バリアフリーの概念と同じで、災害弱者が避難しやすい環境を作れば、健常者(情報の得方、人付き合いの程度も様々です)にとっても、より安全安心なシステムになります。
 
 現行のシステムでは、発災が予想される2-6時間前には高齢者など避難準備、2時間前を目安に高齢者など避難開始となっています。

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 でも、本当の災害弱者はストレッチャーや車いす移動だったり、人工呼吸器がついていたり、認知症だったりと、移動に相当の準備やスキルが必要など、家族・親族にも簡単には動かせないような患者さんだったりするのです。すでに雨が降っている2-6時間前にそんなこと言われても、避難できない人も多いわけです。
 彼らが避難するためには、

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当日になってからバタバタレベル2とかレベル3を動かすんじゃだめなんですね。

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レベル2-3が72時間前に走り出すような、そういうタイムラインが必要です。家族・親族・地域で移動を担うにしても、介護施設自治体が移動を担うにしても、現状把握、移動プラン、プランの完遂で、どんなに短くても72時間は見ておく必要があるでしょう。
 ここで、避難プランを考え、事業規模(時間、人手、経路、費用etc)を概算する上でも欠かせないのが、気象状況、土地リスク、当事者リスクの正確な現状把握です。そのために必要な下記システムを提案しています。

 必要な準備は3つ。
 
1、気象庁主導で非常事態宣言ができるシステム
 伊勢湾台風、令和元年台風19号西日本豪雨等、広範囲特別警報級の大規模災害が予想されるとき、気象庁が72時間前までに「非常事態宣言」を発令できるシステムが必要です。気象をよく知っている人なら、気象庁が3日前に会見をするということがどれほど異常なのかわかりますが、一般の方は気にしないか、気づいても「気象庁がまたなんか言ってるよ」(失礼!)程度にしかとらえません。いつもの台風、いつもの災害ではない、広範囲特別警報級の災害なのだということを早く周知させる必要があります。
 そのためには、どの程度までの予測失敗が許容できるかの国民的議論も必要です。

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2、ハザードマップと住所の紐づけ。
 今、各自治体にハザードマップはできていますが、何mの浸水で何色、などのフォーマットが統一されていない上に、地図はあっても住所との紐づけがなされていません。しかし、マップがあるということは各地域の浸水深データはあるはずですから統一化は可能なはずです。
 住所と紐づければ、個人単位で、当事者も自治体も住んでいる場所のリスクを把握することが出来るようになります。

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まず、全国のハザードマップを統合し、2階以上浸水エリアはS、床上浸水エリアならA、床下浸水レベルならB、軽度浸水レベルならC、浸水なしならNなどとします。

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住所と災害ランクを紐づけ、住基ネットマイナンバーに登録しておきます。自治体から住民に知らせるだけでなく、転居や土地取引の際にも当然これを周知することになります。これにより、ハザードマップを見ない、どこにあるか・それが何かもわからないような方にも確実に伝えるのです。ハザードマップは、大河川の氾濫、集中豪雨、高潮、津波などいろいろありますが、この際一元的に管理すると良いでしょう。画像は、私が昔住んでいた狛江市のハザードマップです。以前の住居は、多摩川氾濫はAランク、集中豪雨はNランクということがわかりました。

3、医療・介護者による避難自立度の入力システム
 病院に入院すると、病室の入り口やスタッフステーションに、災害時の移動手段がシールで貼ってあります。

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 赤はストレッチャー移動、黄色は車椅子移動、白は独歩です。
 これを、外来患者でもやるのです。

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 ストレッチャ移動や人工呼吸器など最高リスクが紫、車椅子移動や認知症などハイリスクが赤、杖移動でゆっくり等が黄色、といった感じです。
 こうした情報は自治体も要支援者・高齢者名簿として持っていたりしますが、その元ネタは町内会の敬老調査だったりして(私もいままさに地域の班長としてやってます)、調べる人の熱意と人付き合いの程度に左右されますし、自治会には入っていない人は漏れます。しかも、自分の班でもそうなのですが、だいたい入ってほしい災害弱者・情報弱者に限って自治会との付き合いがなかったりするんですよね・・・。
 しかし、自治体・町内会の網から漏れる彼らでも、大抵は病院や介護のお世話になっています。そこで、我々医療職や介護職が、何色に相当するのか(細かい病状は抜きにランクだけ)を入力し、自治体と共有するシステムが必要です。

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 マイナンバーと保険証が紐づいた時点で、保険入力の際に一緒に住基ネットマイナンバーなどに紐づけて、2,3の情報を一元的に管理し、転居にも対応できるようにすると良いと思います。
 
上記のシステムができれば、

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気象庁が非常事態宣言を出す

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2,3のシステムにより、土地リスク+パーソナルリスクの高い地域のトリアージ
現在のレベル3(高齢者・要支援者等避難開始;現行は発災2-6時間前に発令)を72時間前に発令し、災害弱者の避難計画を検討開始
24時間前を目安に災害弱者の避難完了
誰も取り残さない防災、気象災害死者ゼロ作戦の完遂
とつなげることが出来ます。

 予報士の資格もまだ持ってない私ですが、医師・研究者・科学者・筋金入りの患者・患者家族・妻母娘・情報発信者という複眼的な視点を活かし、「死角をつつく役割」をしっかり全うしたいと思います。
  荒井先生、室井先生には大変、大変お世話になっていますが、私はいち科学者であり「宗派」はありませんので、何党の方でも、国の中枢にいらっしゃかたでも、気象関係の方でも、医療介護職の方でも、自治体の方でも、必要とあらば私の提案をご説明に参ります。
 上記システムの理解者が増え、議論が深まり、実効性のある方策として世の中に提案していけたらと思いっています。
 

患者から見た診療放射線技師

 縁あって、東京電子専門学校の非常勤講師として、診療放射線技師の卵ちゃんたとである2年生に対して、画像診断学の授業をしています。東大の大学生・大学院生も若いですが、専門学校の2年生はもっと若い。ピチピチの駒場生と同じ歳ですからね!40過ぎたおばちゃんには嬉しくなってしまう若さです。
 概論では、「病気と共にあった私の人生から見る 画像診断学」というテーマで講義を行います。

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2019年6月4日、3回目の再発に対する手術前日の消灯時間(21時)過ぎ。残務を片付けに降りてきた私とCT室にて残っていた技師さん達との一枚。

 喘息の経歴から造影剤の安全性につなげたり、私の肺癌の経過の画像をたくさん出して、がん医療における放射線検査の役割を考察したり、脳の一部を失った私のものの見え方から、神経画像の基本を学んだり。最後には心構え的なお話をします。その中で、「患者から見た放射線技師」というの話をしたところ、聞いてくださった学科の先生方から大きな反響をいただいたので、備忘録かねてここにシェアしたいと思います。

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 放射線診療の大きな部分を占める腫瘍の診療では、CT・MRI・PETなどの画像検査が、質的診断、ステージング、再発転移検索、治療効果判定で大きな役割を担っています。
患者にとっては、画像検査というのは、いわば「人生を決める検査」。検査を受けに来るときは、次の数ヶ月間が社会生活もそこそこに治療に追われる数ヶ月になるのか(ときには経過が思わしくなくそのまま進行することだってある)、それとも今まで通りの生活を送ることができるのか、ドキドキしながら、「次の数ヶ月間を無事に過ごす切符」を手に入れに検査室に来ているのです。これは、腫瘍の患者さんに限らないと思います。
 そんな、人生の一大事の検査結果を、【一番始めに目にする人】なのが技師さん達なのです。結果をすぐに知ることができない患者から見れば、ある意味うらやましい立場です。当然、患者さんは結果が気になりますし、画像の処理と読影は時間を要するため、次の外来まで結果はわからないと頭では理解していても、のどから手が出るほど「速報」が欲しいのです。
 中には実際に「どうでしたか?」と聞く方もいまが(当然技師さん達はなにも言えないんですけどね)、多くの患者さんは黙って帰って行きます。でも口には出さなくても、技師さんや検査室に出入りするスタッフの表情に何かヒントがないか、目を皿のようにしている患者さんは、実はとても多いのです。
「検査を終えて部屋に入ってきている技師さんが、再発があったような顔をしていないか?」って。だから、皆さんの表情はすごく見られているですよ、という話をしました。
 操作室から出てきた技師さんが、晴れ晴れはつらつとしていたら、「きっと結果が良かったんだ」と不安が晴れます。たとえ本当は再発があるなど悪い結果であったとしても、次の外来まで明るい気持ちで過ごすことができます。
ところが、技師さんが自信がなく歯切れが悪そうな様子だったり、覇気がない様子だったりすると、「これは結果が悪かったのではないか」と、あらぬところで患者さんの気持ちは落ち込んでしまいます。こうなっては、検査全体の信頼性もひくいのではないかと、実際の検査や読影の信頼性とは全く関係のないところで不信感をもたれる原因となってしまいます。すると、いざ結果が出たとき、それを受け入れて治療にすんなり進むこともむずかしくなりかねません。
 このように、患者というのは、医療者が思っても見ない小さなサインから、自分の本当の状態がどうなのか、読み取ろうとします。
技師さんやその卵ちゃん達には、放射線医療において、患者さんの医療への信頼感を決める最前線に立っているのだという自覚と誇りを持って、活き活きと働いて頂けたら嬉しいなあと、思うのです。検査に立ち会う当番の放射線科医についても、同じことが言えますね。
 こんなのが画像診断学概論として適切かはよくわかりませんが、患者の立場からは、結構「ツボ」だったりするので共有してみました。

低線量小児心臓CTの取り組みが日本経済新聞に紹介されました

 私の本業である小児CTの被曝低減の記事が、2020年9月21日(月)の日本経済新聞朝刊にて、7段組みの大きな記事で特集されました。私も、小児心臓CTの被曝適正化に関するインタビューを受けています。

style.nikkei.com

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本業の取り組みが日本経済新聞に紹介されました。


 2020年4月の医療法施行規則改正に伴い、被曝管理がすべての医療機関に義務化されました。CT検査に被曝はつきものです。被曝を増やせば画質はよくなりますが、発癌リスクが上昇します。かといって減らしすぎて、診断に差し支えるほど画質が低下して
しまえば、検査は被曝損に終わってしまいます。検査目的を考慮し、診断に必要十分な線量管理を行い、患者さんを放射線障害から守ることは、放射線科医や診療放射線技師など放射線医療に関わる者の重要な責務です。その重要性は、成人に比べて5倍ほど放射線感受性が高いと言われる小児では、より高くなります。

 

 小児のCTの中でも、ほんの10年ほど前までカテーテル検査・治療よりも高い放射線量が標準的に使われていたのが、先天性心疾患や川崎病の患者さんに対して行われる小児心臓CTです。昨今の技術の進歩に伴い、ここ10年ほどの間に胸部単純写真程度の
線量で診断に十分な画質を得ることができるという報告が相次ぎ、アジア・欧米ではあっという間に低線量が標準となりました。被曝低減に伴い、かつては欧米では被曝の心配から敬遠されてきた小児心臓CTの適応が、国際的に著しく拡大しています。東大病院でも、いまや世界標準となっている0.3mSv程度の線量で小児心臓CTを撮影
しています。

 被曝は検査・治療のトータルで考えなくてはいけません。心疾患のお子さんは、AYA世代に至るまで繰り返しカテーテル検査・治療を受けますから、積算被曝を考えると、カテに比べて抑えやすいはずのCTの被曝を抑えなくてはいけません。

 

 しかし国内では、昔からCTが普及していた分、ハイエンドな機器への更新が進んでも、昔の標準線量のまま撮影している施設が少なくありません。日本から小児心臓CTに関する英語論文を出している(=国内では先進施設であるはずの)7施設9論文の線量を見ても、実に70倍以上の開きがあるのです。「診断参考レベル」という、各国の標準線量の指標となる統計を比較すると、日本の小児CT被曝は、心臓以外も欧米より高い傾向がありますが、心臓CTの施設間格差は異常、十分管理できているとはいいがたい状況です。

 

 そこで2019年9月に、「日本小児心臓CTアライアンス」(http://pediatric-cardiac-ct.kenkyuukai.jp/special/?id=32157)という団体を発足させました。メンバーは各地域を代表する放射線科医15名、小児が得意な診療放射線技師5名、生物統計学者1名です。
 全国調査や、セミナー開催を通じて、国内の線量の施設間格差
是正を目指しています。


 私は東大に入るまで、患者としてどっぷりと小児医療のお世話にあり、
AYA世代でがんになり、今年の脳転移を含め5回の再発を繰り返してきました
自分が癌になったのは医療放射線のせいではないと思っていますが、
病気で頑張っている子供たちが、原疾患に加えてがんまで背負う
リスクを、放射線科医として低減したいという思いが、私の活動の
原動力の一つとなっています。
 しかし、線量管理・被曝管理というのは放射線医学の中でも
地味な領域で、同業者にも、あまり興味を持ってもらえないのです。
ある程度の外圧も必要だと感じています。

 一人でも多くの方が、小児被曝や施設間格差の問題に興味を持って下さる方が、一人でも増えることを願っております。

Yahoo!ニュースに掲載されました。

 桐蔭の同級生の小酒部さやかさんが、Yahooニュースで私のことを紹介してくれました。

【仕事×育児×病気の両立。5回のがん再発と闘いながら、東大病院の放射線科医を務める女性の生きる力】

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200829Yahooニュース記事

 小酒部さんは、女性や様々な働き方をしている方の就労問題について少し調べれば、必ず彼女の記事を読むことになる、大変著名な方です。私は「医局唯一の子持ち女性東大常勤職員」として、女性医局員支援のための情報収集に日経dualというメディアを読み始めた頃に、彼女のことを知りました。後に昔の担任の先生から、うちの期で一番活躍している人だよと教えてもらい、桐蔭の同級生であることを知ったのです。
 
 小酒部さんは、現在株式会社natural rights代表を務める傍ら、Yahooニュースのオーサー等の形で精力的な発信活動を行っています。私が日経dualで彼女を知った頃は、彼女は当時在籍していた会社でマタニティーハラスメントに遭っていました。日本では多くの女性達が同じ問題に泣き寝入りする中、勇気ある告発、そしてを外国特派員協会での会見行い、マタハラという言葉が世に広まるきっかけになりました。
 その後、彼女は自分の経験をベースに幅広い社会活動を行っており、日本の職場ではどうしても未だに弱者となりやすい女性の就労に冠する啓発・政策提言・コンサルティングなどの活動をしています。最近彼女の慈愛の目は、ロストジェネレーションといわれる同世代に多い非正規雇用フリーランスなど不安定な形で働く人々(本人がそれを望んでいることもありますが、そうとは限りません)全体に向けられています。
 2015年には日本人として初めて、米国国務省(!!)より「国際勇気ある女性賞」を授与され、ACCJウィメンズ・イン・ビジネス・サミットに安倍首相やケネディー大使とともに出席しています。本当にすごい人です。
私にとっては、彼女と知り合うまであまりに無頓着だった、自分の業界における女性のキャリア問題に開眼するきっかけを与え、視野を広げてくれた恩人です。

そんな彼女にこのような立派な記事を書いて頂くのは本当に光栄なことです。最近では彼女は横浜市青葉区の市議に立候補するなど、政治活動にも力を入れています(個人的には是非国政でがんばってほしい!)。
是非彼女の輝かしいプロフィールも読んでみてください。

第11章 ④ 小児心臓CTアライアンス

 放射線医学の世界では、肝臓・胆嚢・膵臓を中心とする腹部や脳神経がいわゆる「花形」である。私見だが、次に来る花形が呼吸器や生殖器や運動器であり、循環器や小児を専門にしようとする人はマイナー、あるいはちょっと変わり者とみなされているかもしれない。そんなわけで、小児×循環器である小児心臓というのはマイナー中のマイナーで、もはや一つの「領域」として認知されているとはいいがたい。国内で小児心臓が得意な放射線科医として名前が上がるとしても、せいぜい数人。世界的に見ても小児心臓を専門とする放射線科医は稀であり、この業界で活躍している先生たちは互いに顔見知りで、いつも同じメンバーが互いに仕事を頼みあっているような状態なのであった。

 心拍数が150ほどもある乳児の心臓をきれいに撮るには、機器のスペックが十分に高くないといけない。10年ほど前までは技術が追い付かず、心臓カテーテル検査並みかそれ以上の大量の放射線を使って、何とか撮影していたのである。それがこの10年の間にCTの機械が長足の進歩を遂げたことで、胸部レントゲン写真1枚と同じ程度の放射線量で、診断に十分な画像が撮れることが、東大を始めとする世界の複数のグループから発表された。

 かつては欧米では、高い被曝を嫌って、小児の検査はMRIを用いることが多かった。MRIは撮影時間が長いために、深い鎮静(麻酔)をかけなくてはならず、子供にとってはリスクも大きかったのだが、被曝のリスクよりましだと考えられてきたのである。だが、被曝の心配が無視できるレベルまで低下したことで、この5年ほどの間に欧米でも急速に小児心臓CTが普及しだした。アジアの国々も、多くは経済成長が追い付いて、ハイスペックなCTが設置されるようになってから小児心臓CTが普及したために、導入されたばかりの時期から最新の撮影法を使っている。つまり、欧米もアジアも、小児心臓CTの普及が遅れた分、胸部単純写真並みの低線量での検査が一気に普及したのである。

 翻って日本は、昔から人口当たりのCTが多い国であった。CT検査が普及していた分、長年同じルーチンの撮像法が続けられている施設が多く、小児心臓CTについても、旧態依然としたカテーテル検査並みの線量で検査を行っている施設も少なくなかった。放射線量が多いということは、将来の発癌リスクがそれだけ高まるということになる。最近の世界標準に照らし合わせても、日本の現状は看過できなかった。

 2019年3月、アジア心臓血管放射線学会でこのことを痛感した私は、国内の被曝低減に向けて全国的なアクションを起こすことを決めた。それまでの数年間の講演行脚で、自分一人がちょっと頑張って講演したくらいでは、各地域の病院に実際に撮像法を変えてもらえることなどまずないことを肌で感じていた。必要な施策が3つ。全国の実態調査を行い、模範となるべき先進施設の結果と合わせて公表すること。みんなが苦手な小児循環器が得意になり、適切な撮像法や線量管理を学べるようなセミナーを全国で行うこと。そして各地域に小児心臓が得意な放射線科医がいるようにして情報交換を促すことと見定めた。

 構想から半年、2019年9月に、上記の活動を目的とする、日本小児心臓CTアライアンスが発足し、私は代表に就任した。メンバーは、北海道・東北・関東・中部・関西・中国・四国・九州の各地域を代表する放射線科医14名、地域によらず小児が特に得意な診療放射線技師5名、被曝関係の統計処理を得意とする研究者の先生1名である。皆さん小児放射線や循環器放射線の領域で、日本を代表する錚々たる先生方ばかりである。ここ数年、国内外の小児心臓CTの仕事を個人で抱えることが多かったが、強力なチームが結成されたおかげで、あらゆることを組織で抱えることが可能になった。人は力である。

 2020年2月、東大病院にて第1回となる小児心臓CTスキルアップセミナーを開催した。日時を決め、会場を予約したのが12月中旬。こんな直前から受講者が集まるのか、小児心臓CTなんて見向きもされないのではないか、と心配したが、ふたを開けてみると、全国から50名の定員を超える応募があり、心配は杞憂に終わった。掘り起こせば需要はあるものである。普段お世話になっている小児科や胸部外科の先生方に先天性心疾患や手術の基本を教えていただいたのち、私からCT被曝の基本と国内外の現状に関する講演を行い、撮影実習、小さめのチームに分かれての読影実習を実施した。全国から日本小児心臓CTアライアンスメンバーが駆け付け、各種係や読影実習の講師を務めて下さった。また、朝早くから東大の若手医局員や診療放射線技師の皆さんも設営・撤収を含めて手伝ってくれたことは、忘れられない。関わってくださった方、集まってくださった方全員への感謝に心震えた一日であった。
 全国レベルでアクションを起こすには、このようなセミナーも各地域を回って開催する必要がある。次回は大阪の国立循環器病研究センターの先生が、当番幹事を引き受けてくださることになった。並行して、いよいよ本丸の仕事である放射線量の実態調査を行うための準備に入る。アライアンスができたことで、個人で活動していた時には考えられないような大きな仕事を行うことが可能になった。組織の強さを実感し、これからの活動が楽しみになってきた2月末、世界に思わぬ難題が立ちはだかった。

第11章 ③ 気象予報士試験

 「資格勉強をしてみよう」

 気象庁等が発表した情報をSNSで伝えるだけなら、気象予報士の資格はいらない。気象予報士の話題になると大抵、二言目には「テレビのお天気おねえさんのことでしょ?」と言われるのだが、テレビの天気予報も、気象庁や気象会社発表した情報を解説しているだけなので、本来は気象予報士である必要はないのである。では、何をするために必要な資格なのかといえば、天気や降水量や気温などの気象現象を、科学的な手法を用いて継続的に予測する業務(通常は高度なコンピュータ技術が必要である)を行うために必要な資格なのである。そういう意味では、私は独自の天気予報を発表したいわけではないから、資格を取る必要性はない。

 でも、あらゆる受験勉強に共通することとして、合格を目指すことで気象業界の方が当然持っている基礎知識をパッケージとして習得できることが、何よりの魅力に感じた。試験を受けなくても勉強はできるが、範囲の広い学問を効率的に網羅するには、やはり試験があったほうがよい。

 昔から気象は好きだった。天文にはまった小学生の頃に、天体観測ができるかどうか予測するために地上天気図の読み方を覚えたのがきっかけだった。その後、喘息とうまく付き合うために日々、気象庁のサイトを確認する癖がついた。様々な天気図に遭遇するうちにもっと知識を得たくなり、一般書やインターネットで断片的な勉強を繰り返すうちに、多彩な衛星写真や専門天気図が読めるようになったのが今の状態だった。しかし、医学の勉強にも基礎医学の積み上げが必要なように、気象の勉強には気象の勉強の体系があるはずだ。一度その体系に乗って勉強してみたいという気持ちは、長らく持っていたのだ。

 問題は時間とエネルギーだけだ。試験範囲が膨大で、合格率が4%しかない試験に合格できるような勉強が、忙しい日常業務と家庭を回しながらできるだろうか。台風19号の後気になりだしてから、1か月も受験を悩んでしまったのはそのためだ。でも、やってみないとどれくらい大変かわからないじゃないかと、結局受験することにした。

 気象予報士試験は、一般知識、専門知識、実技試験1、実技試験2の4つの試験からなる。一般と専門は15問ずつのマルティプルチョイスで、両方に合格しないと足切りとなり、実技は採点してもらえない。一般と専門は合格後1年間有効なので、まずこれらの学科試験に合格し、のちに実技の合格を目指すのが王道とされている。実技試験は、大量の天気図など気象データを読みながら、記述や作図ばかりの大量の問題に解答しなくてはいけない、厳しい試験である。今回は受験を決めてから試験まで2か月しかないので、まずは学科に専念することにした。

 勉強を始めてみると、一般知識は気体の状態方程式や熱力学法則など、大学受験の化学で嫌というほど解いたような問題がかなり含まれることが分かった。また、独学中にいくつかの概念を苦労して理解しておいたことも、勉強の時短につながった。例えばエマグラムという、対流圏の大気や水蒸気の状態を二次元で表したグラフの読み方など、一度も勉強したことがなかったら到底時間が足りなかったと思われる。もちろん初めて知る知識もかなりあったが、説明を読んでも理解できないことは少なかった。
 1か月ほど勉強をすると、一般知識の教科書を一通り終わらせることができた。すると、専門知識の教科書に手を伸ばしたくなってきた。今回の目標は一般知識の合格だが、雰囲気を知るために実技も含めて全科目受験してみるつもりでいた。どうせ受けるなら、一通り専門の教科書くらい読んでおこう。そんな感じだったが、実際のところはもっと気象らしい勉強もしてみたくなったのだ。基礎医学を勉強している医学部3年生のころに、早く臨床医学に触れたくなるのと同じである。試験だけを考えると余計な寄り道だったかもしれないが、これまで抱えてきた多くの疑問を解決することができた点で、収穫は大きかった。最後の2週間は、一般を一通り復習しながら過去5年分の過去問で傾向をつかむことにした。

 試験の前の週末、講演で訪れた札幌で、とっておきの出来事があった。氷点下10度の刺すような空気、積み上げられている大量の雪、木の上から星屑のように降り注ぐ粉雪!同伴した息子は、靴下が濡れるのもお構いなしに、雪山の中に飛び込んで遊びたがる。まさに異世界に胸が高鳴る。そんな札幌で、早朝からダンディーな帽子姿でホテルに迎えに来て下ったのは、衆議院議員荒井聡先生であった。SNSを通じて懇意にさせていただいている荒井先生は、気象庁関連のお仕事に情熱を傾けておられ、気象好きの私のために札幌管区気象台を見学させてくださるという。

 見学のメインは、朝9時のラジオゾンデの打ち上げだ。ラジオゾンデは、巨大なゴム風船に高層観測用の小さな機械がくくりつけた観測機である。世界中に観測網を敷くため、一日2回、世界中で同じ時刻に打ち上げられている。倉庫から運ばれてきた風船は息子の背丈ほどの直径で、思わず歓声を上げてしまうくらい迫力満点である。紐が延ばされ、アドバルーンよろしく空高く泳ぎだすと、カウントダウンが始まり、風船はリリースされた。上昇速度は思いのほか速い。5分ほどして肉眼では見えなくなったが、その頃には2000mをはるかに超える高さに達しているそうだ。打ち上げが終わると、実際の天気予報を担う現業室や、地震火山観測室を見学させていただき、夢のような時間を過ごした。

 そんな思い出を胸に、翌週私は試験会場の早稲田大学にいた。一般は思いのほか難しく、専門は一般よりむしろ簡単に思えたが、帰宅して速報を見ながら採点してみると、実際の出来は逆。一般は法律の問題を2問落とした以外はすべて正解で合格、専門は1問及ばずであった。今回はもともと一般が取れれば御の字だったので、悔いはない。

 早速、次の8月の試験のために勉強を再開したかったが、本業で大きな動きがあったため、数か月間は気象の勉強は忘れて医学に専念することにした。